京都へ行く

朝から雨。暖。
白川静先生文化勲章受章 祝賀会」に出席するため京都へ。
午前中に家を出る。Sで逭木逸平『旧字力、旧仮名力』(NHK生活人新書)を購う。
電車のなかで、第一章「旧字力」を読み終える。面白い。「しんにょう」に関する話(p.92)や「平成十六年の人名用漢字追加について」(p.126-28)など、いちいち的を射ており痛快。拡張新字体とか、類推旧字体とか、デザイン差とかにまで話がおよびます。
以下は若干の補足および疑問点。まずは「『覺』を部分にもつ『攪拌』の『攪』は常用漢字外なので元の形のまま」(p.51)とあって、その「攪拌」のルビが「かくはん」となっているが、「攪」の字音「カク」はふつう慣用音と見なされるのではないか。漢音は「コウ(カウ)」。また、「戦前は『榮養』は『營養』と書かれるほうが多かった」(p.53)とあるが、「栄養」と「営養」は本来別語(後者は翻訳語か)、と見る人もある(たとえば、駒田信二『漢字読み書きばなし』文春文庫,p.126-28)。そのことにもふれるべきではないか。
会場に着いたのは午後一時過ぎ。午後一時半開会、ということでしたが、予定が大幅にずれ込む。ロビーで待たされている間、持ってきた論文(コピー)を読む。ワケ分らん。
結局、午後二時頃からはじまりました。
まずは、宮田まゆみさんによる笙の演奏。曲目は『伽陵頻』*1。うっとりするほど美しい音色。私は雅楽に暗いのですが、『蘭陵王破』にしろ『神楽歌 神楽音取』にしろ*2、演奏(や演技)を目の当りにすると、さすがに迫力を感じます。そのリズムが、私に馴染みのないものであっても、有無をいわせず体の中にどんどん入ってくる。しかしそれがむしろ心地良くて、いつのまにか聴きほれている自分に気づきます。
「祝辞」では、色々な人が壇上にのぼって挨拶を述べておられましたが、福井市長の酒井哲夫さんが、「世界」「人生」を「しぇかい」「じんしぇい」、「全然」を「じぇんじぇん」と発音されるのが気になって、この方は幼少の頃からずっと福井に住んでおられたのだろうかと、余計なことを考えていました。
それらに応える白川静先生の「謝辞」が、やはり面白かった。「これまで私は文科省の政策を批判してきたというのに、なぜ私に『文化勲章』を授けられるのか、しかし『文化勲章』をお受けすることで、常用漢字が改悪されることは当分ないであろうと考えた」、とか、「私が『孔子伝』を書いていたころは全く無名で誰も見向きもしなかったのに、字書三部作を書き上げると学界から非難の声が上がって大変だった」*3、とかいった一流のユーモアもお忘れになりません。ただ以前と比べると、かんばせにやや憔悴の色がうかがわれましたが、まだ矍鑠とされていて安心したのでした。
祝宴では、同じテーブルを囲んだSさんやN先生とお話ししました。N先生は辻本勝巳先生*4のお話をされ、Sさんは大島正二先生の本や杉本つとむ先生の本についてのお話をされました(なんとSさんは、「工学畑」の方なのだそうです)。いずれも興味ふかい話題でした。
記念品として、肉筆サイン入りの白川静『桂東雑記Ⅲ』(平凡社)*5ほか、全部でみっつの品を頂きました。
帰途、Nさんに声をかけられる。一昨年、懇親会の席上でお話ししてから、賀状等をかかさず下さる方。
四条までは、Sさんと一緒に帰りました。

*1:口頭での説明でしたので、聞き違えているかもしれません。

*2:一昨年、某祝賀会で鑑賞しました。

*3:まるで、『グロテスクな教養』第三章のようなお話。

*4:辻本春彦先生の父親なのだとか。

*5:次回の会合のときにでも買おう、とおもっていました。買わなくて良かった。