谷川健一さん

魔の系譜 (講談社学術文庫)
i-miyaの日記にもありますが、日経(夕刊)の「人間発見」に、谷川健一さんのインタビューが掲載されています。「『小さき民』こそ わが師(1)」という記事。同郷ということもあって、私は谷川さんのファンです。以下、その著作から引用しておきます。

私にとっては地名はたんなる標識の符号ではない。「おくのほそ道」のはじめに「道祖(岨)神のまねきにあひて」とあるが、私もここ三十年間、地名という土地の精霊に招かれて各地を旅してきた。そうしたことから本書を「土地の精霊との対話」と受け取っていただいて差し支えない。(『日本の地名』岩波新書,p.5)

日本の自然に飲料に適する水が溢れていることは、水に悩む他民族から見れば羨望に値するものにちがいない。日本人自身はそれに気付くことが少なく、飲料水はタダと思っている。それと同じように日本には地名がひしめき合い、また由緒ある地名が残存している。そのことからかえって日本人は地名のありがたさが分らず、地名の価値をなおざりにしてきたきらいがある。しかし地名は幾千年幾百年の間、日本人が共に暮らしてきた道連れである。この道連れである地名をもう少し大切にしてもらいたいと切望してやまない。
(同,p.226

一九六二年から実施されてきた住居表示法は、戦後最大の暴挙ともいうべき未曾有の地名改悪をもたらしたが、その際にも響きのよい当世風の地名が、その土地の旧い歴史や地名を無視してつけられた。このようなほしいままな表記は今にはじまったことではない。しかし、「はじめに」でも述べたように、この乱雑な地名表記の中から、人間と動物との関わりあった歴史を探っていく作業も地名愛好者の好奇心を駆り立てる楽しみなのである。(『続 日本の地名』岩波新書,p.224)

時局の先棒を担ぎ、国策の尻馬に乗った国家神道が、日本の神々の本来あるべき姿でなかったことは、敗戦の手痛い教訓がこれを証明している。戦後に私が一日本人として心の再建を目指して追い求めてきたのは、国家と等身大の神ではなく、幾多の風雪に耐えて日本の歴史や古い文化を今日に伝えてきた神々である。それは古社の片隅に置かれた神であり、農山村や漁村に息づく神、あるいは樹木の下に神域を示す石だけを並べただけの南島の神、すなわち細部にやどる、いわば路傍の菫ほどの小さき神々であった。私がこれらの神々に心を寄せたのは、小さきものへの愛というだけではなかった。それらの神々もまた「可畏(かしこ)きもの」であった。それらの「小さく」「可畏き」神々がかならずや日本人の根底によこたわる世界観や死生観を解明する手びきになると考えた。
戦後の日本人が神々のことをかえりみなくなった頃、私は民俗学を通して、日本人の信仰の原型を追求することをはじめた。戦時中の狂熱的な神がかりを最も嫌悪し忌避していた私が、戦後になって日本の神の発見を志したというのは、まさに時代に逆行しているように見えるかも知れない。しかしそれは私にとって必然的な道程であった。私の戦後史は、一日本人が日本に再接近しようとして摸索をつづけた、たどたどしい軌跡である。(『日本の神々』岩波新書,p.2-3)

とりわけ私の気に入っているのは、「狂笑の論理」(『魔の系譜』講談社学術文庫所収)です。もう引用するのはやめておきますが、これはすぐれた夢野久作論になっているし、谷川流「笑い」論にもなっています。
故・宮田登さんは、「谷川民俗学の原点」(『魔の系譜』所収)で、この「狂笑の論理」について、

「狂笑の論理」にも歴然とする現代への鋭い警告は、「装飾古墳」に示される古代研究の直観に支えられた洞察力によってすこぶる説得性に富むものである。(p.261)

と書かれ、

読者はそうした谷川民俗学に魅了されるのであるが、何はともあれ、本書はその原点に位置づけられるものであって、ここから発せられた多彩な課題の深化をさらに追跡する欲望に駆られるのである。

と結んでいます。
ちなみに、嵐山光三郎さんの『口笛の歌が聴こえる』(新風舎文庫)には、嵐山さんが平凡社に入社したころの谷川健一さんの印象が描かれています。

アラビア二十面相は、悠々と歩きながら、ふと前方を見て、
「ほら、あそこでも、しみじみと桜を見てる男がいるだろ。あいつも平凡社の社員らしいぞ」
その男は、ボサボサの頭をかきむしりながら、桜の花をにらみつけていた。かなりの大男だが、肩のあたりには力がなかった。
「あいつは、谷川健一といってな、月刊太陽の初代編集長だ。一年で編集長をクビになった。病気が原因だというけど、雑誌が売れなきゃ、編集長は病気になる」
谷川健一は、民族(ママ)学者としても知られていた。谷川健一の対談を、英介*1は、雑誌で読んだことがあった。二人が谷川健一の前を通りすぎると、酒のにおいがぷーんとした。酒の臭いのなかに、殺気があった。二人は、谷川健一に目をあわさないようにして、土堤を歩いた。(p.193-94)

二百七ページから二百十二ページにかけての、英介と谷川健一さんのやりとりも面白い。
あ、そうそう、『回思九十年』(平凡社)では、白川静先生と谷川氏の対談が読めるのでした。

*1:嵐山光三郎さんのこと。