名著復活

心霊写真 不思議をめぐる事件史 (宝島社文庫)心霊写真 (宝島社新書)
ここの注(3)でちょっとだけ触れましたが、小池壮彦『心霊写真―不思議をめぐる事件史』(宝島社文庫)がついに刊行されました。これは、五年前に出た『心霊写真』(宝島社新書)の文庫版で、文庫化にあたって改訂・増補されています*1
「心霊写真」にかんする先駆的な著作であった*2だけに、一柳廣孝編著『心霊写真は語る』(青弓社)に収めてある論文のほとんどが、この本を参考文献として挙げています。
とくに吉田司雄さんは、「回帰する恐怖―『リング』あるいは心霊映像の増殖」の注で、つぎのように書いています。

小池壮彦『心霊写真』(〔宝島(ママ)新書〕、宝島社、二〇〇〇年)は現在すでに品切れである。いま自分の手元にあるのは、本書の編者である一柳廣孝氏から久しく借りたままになっている一冊であり、増補版の刊行を強く待ち望んでいる。(p.183)

私がこの本を知ったのは、『この新書がすごい!』(洋泉社)というムックで紹介されていたからなのですが、そこで中原昌也さんはこう書いています。

世の中には当然のように存在しながら、よく考えれば非常に不自然なものがある。中でも心霊写真というのは誰がいつ、心霊現象を実証するアイテムとして認めたのだろうか?
そんなことも考えずに、我々は今まで目の前に登場する心霊写真にいちいち驚嘆していたのだ。そのことを認識させてくれただけでもこの本は賞賛に値する。

(蛇足を承知の上で)これにつけ加えておくならば、この本は、「心霊写真」がなぜ日本で独自の発達を遂げたのか(あるいはなぜ、ゾンビのごとく何度も復活を遂げ、数度のブームを繰返すに至ったか)? という問題についても、日本人の精神史に着目しつつ描きだしています。
つまり、きわめて真面目な内容の本なのです。その真面目さゆえに、中原氏は「本書はいささか真面目すぎた感もないわけではないが…」という不満を洩らしています。そしてその「真面目すぎ」る理由を、「著者の『心霊写真の本だからといっても絶対にいかがわしい要素は入れるまい』という決意」と「いかがわしさなしに心霊現象を語りえぬジレンマが、どうしてもいかがわしさを期待する読者意識とないまぜとなった(?)サブリミナル・メッセージ」とに求めていますが、これはそう断じているというわけではありません。
さて著者の小池氏は、今回あらたに加えられた補章で、

つまり「デジタル時代」なるものは、写真に写ってしまった幽霊の持つ説得力、すなわち心霊写真の神秘性を決定的に削ぎ取る事態を招来させるのではないか―という見方を、新世紀になってから、いろいろな人から聞いたことがある。
私の意識としては、心霊写真の運命をそこまで心配する必要は感じていなかった。
神秘性をいうならば、それはすでに八〇年代に削ぎ取られてしまっていたからである。デジタル時代というが、そもそも文明開化の世に「幽霊写真」が広まった段階で、幽霊はデジタル化されたのである。それまでは幽霊と言えば、いると思えばいるし、いないと思えばいないものだった。ところが「幽霊写真」の登場によって、写真に写ったか、写らなかったかという点が、幽霊の存在なり、非存在なりを語る物差しになった。そして、その手の写真の詐術性についても、すでにあらゆるパターンが暴露されまくってきた経緯がある。もはや心霊写真に失うものはないと言ってもいいのである。
要は写真を「見る」側の問題である。写真をめぐる環境が変化してもなお、今も写真の中に幽霊を見る人がいる。あるいは、その手の言説が依然として説得力を持つ場合がある。(p.219-20)

と書いています*3
「写真に写ったか、写らなかったかという点が、幽霊の存在なり、非存在なりを語る物差しになった」ことは確かに残念ですが、あるいは「僕も見える」「私にも見える」という共通認識を生みやすいことが、「心霊写真」をかえって「分りやすい」現象の範疇に押し込め、デジタル時代にまで延命させてきたのかもしれません。
そういう意味で、私は「心霊写真」に興味を抱いています。
**********
時よ止まれ! 僕たちはすることが一杯ある!!で、カルロ・マリア・ジュリーニの死を(今さらながら)知りました。私はジュリーニのよい「聴き手」ではないのですが、モーツァルト『交響曲第40番ト短調』は「愛聴」しています。「ジュピター」とのカップリングなのですが、第四十番(とくに第二楽章アンダンテ)は甘美きわまりない! ややテンポは遅いのですが、もたれかかるような感じがありません。

*1:掲載写真も十二枚(補章もふくめると十五枚)増えている。

*2:まず、翻訳語としての「心霊」、「心霊+写真」から説き起こしています。第六章の「『心霊写真』のポスト・モダン」は必読です。なお、「心霊写真」の誕生にかんしては、後掲『心霊写真は語る』所収の「心霊写真の発生」(奥山文幸)にも詳しい。

*3:中原氏のいう「ジレンマ」を回避することに腐心しているようにも見受けられます。