あふれる本の話

神風 [DVD]
また晴れ。朝、『神風』(1986,仏)を観ました。
ディディエ・グルッセ初監督作品で、リュック・ベッソンが製作に携わっています。
七年か八年前に、サンテレヴィジョンでかかっていたことがあり、その時は途中から観ました。ミシェル・ガラブリュがマッド・サイエンティストのアルバートを演じ、リシャール・ボーランジェが、彼を追いつめるベテランのロメイン刑事役。このロメイン刑事にしろ、『ディーバ』(1981)のゴロデッィシュにしろ、リシャールのまさに「はまり役」なので、ちょっとしたファンになってしまいそうです。また、この『神風』で、リシャールは実の娘ロマーヌ・ボーランジェ(当時十三歳)と共演しており、ロマーヌはこれがデビュー作となりました。
所詮は「B級スリラー」なので、設定にはかなり無理があります。会社を解雇されたアルバートは、その腹癒せに、「ヘルツ波を超高音波に変えて撃つ」…という分ったような分らんようなトンデモ奇天烈な方法で気に喰わないアナウンサーを次々と殺していきます。彼の「カミカゼだ、ハラキリではない」という台詞も、二十世紀版東洋幻想(オリエンタリズム)の産物なのでしょうが、日本を完全に誤解しているといえます。
しかしスリラー映画とはいえ、おもわず笑ってしまうところもあります。たとえば、瓜二つの父子の解剖医が登場したり、部下がロメイン刑事に占星術師(!)に相談すべきではないかと持ちかけたりするシーンがそれです。
今日は大学へは行かず、午後は部屋の掃除をしていました。ついでに本の整理も。
夜からアルバイト。
「本の整理」でおもい出したことがあります。約一週間まえ、『讀賣新聞』(2005.6.19付)の「本よみうり堂」の一コーナー「本のソムリエ」に、次のような相談が寄せられました。

小説が大好きです。まるで生き物のように増えていく本に、喜びを感じますが、部屋中にあふれてきて困ってもいます。本をどのように収納・整理したらよいのでしょうか。(東京都・無職、T 36)

この相談にたいする回答者は高橋源一郎さんで、その回答がおもしろい。
高橋氏はまず、

ぼくが初めて「あふれる本」問題に直面したのは、高校生の時です。小さな勉強部屋の壁はすべて、本で満杯になった本棚で埋められていました。ぼくは「困った、これでは本を買っても置くところがない」と思いました。

と書いています。高校生の時点で、すでに本の置き場所に困っていたというのだからすごい。
しかし、これらの蔵書は、父親によって全て(!)売り飛ばされてしまうのです。

いったんゼロに戻ったぼくの蔵書でしたが、そんなことで絶望するわけにいきません。ぼくは再び、本を買い続け、一年後には、四面の壁の中、二面を本で覆うところまでいったのです。ところが、どうでしょう。我が家を戦後最大規模の水害が襲ったのです。玄関のドアの下から水が入りこんでから、本棚が倒壊するまで僅か2分か3分だったような気がします。

そして、その後も、

「最近すっかり堕落してブルジョア的生活をしているお前はプロレタリアにカンパすべきだ」という、以前所属していた政治党派の幹部の置き手紙だけを残して、書斎の本がすべてなくなった

ことがあったり、

「あなた、わたしと本のどっちが大切なのよ」「もしかしたら本かも」という口げんかをして家を出て、帰宅したら、本が風呂桶の中で水に漬かっていた

ということがあったりしたのだそうです(後者のエピソードは聞いたことがある…。たしか、高橋氏自身か元妻の室井佑月さんが、テレビで喋っていたのではなかったか)。
そして高橋氏は、肝腎の「回答」を、次のように書いています。

Tさん、いまは満杯の本も、明日は消え去っているかもしれません。本の収納・整理に困るなんて、贅沢な悩みじゃありませんか。どんどん、本を「あふれ」させ、「困った、困った」とぼやく以上の喜びは、読書家にはないのです。

これが果して、相談者を納得させる「回答」になっているのかどうか、よく分りませんが、たしかに、読書家が自著のなかで「本が増えすぎて困った」と言うとき、その「困った」にはなんとなく、自嘲よりもむしろ満悦が見え隠れしているような気がします。深刻な事態であるにも拘らず、なんだか楽しそうなのです。これが、高橋氏のいう読書家の喜びなのでしょう。
「あふれる本の話」や「収納に困った本の話」は、蔵書家とか学者とかの本には必ずといっていいほど出てきます。さいきん読んだ本のなかから、ふたつ(みっつ)のエピソードを引いておきましょう。

古本買い 十八番勝負 (集英社新書)
重盛翁*1は、蔵書を自宅に置ききれず、蔵書専用のアパートを借りてしまった。古本のために家賃を払っている。ときどき古本のアパートへ行き、フムフムと取り出して悦に入るのだというが、大家さんに「これ以上古本を入れると床がぬける」と注意されてしまった。
*2は亡父の古い家の二階の三部屋すべてを古本用の書庫にしているから、一階で寝ている母から「天井がぬけたら本の下敷きになって死ぬかもしれず、それを思うと夜も眠れない」と、厳重な忠告を受けた。
嵐山光三郎『古本買い 十八番勝負』集英社新書,p.10)

リンボウ先生の閑雅なる休日 (集英社文庫)
一九九五年に私は引っ越しをした。
といっても、家を替わったわけではない。ずっと住んでいた家が甚だ手狭になったので、建て替えたのである。なぜ手狭になったのかといえば、その最大の理由は本が増えすぎたということにある。それまで十八畳ほどの書庫に身動きがとれないほどの本が詰まっていた。それだけでなく、部屋という部屋のいたるところ本で溢れ、とうとうろくに歩くことも儘ならなくなったので、やむを得ず家を建て直すという仕儀になったのだ。そこで、こんどは二十二畳の耐火書庫を拵えて、そこに図書館用の集積書庫を配した。これでずいぶんと余裕を見込んだつもりであったが、ああ甘かった。じっさい、本は思っていた以上の分量にのぼり、その大きな書庫がすでにほとんど満杯状態になってしまった。これでは何のために家を建て直したのか分からないというものだが、ま、それは仕方がない。(林望リンボウ先生の閑雅なる休日』集英社文庫,p.197)

余談ついでに。

私の家は江戸時代まで遡ればごく下級の直参武士だったので、あの大学頭羅山の林家とは毫も関係がない。その後、明治に入ると、なぜか海軍軍人の家となった。その頃までは一人の学者も出していないのだが、この香取末吉(後に林季樹)という入り婿の祖父以降は、どういうわけか、一族に俄然学問の道を選ぶものが多くなった。伯父の健太郎西洋史学者で東大教授、父雄二郎は経済官僚から東京工業大学教授になって社会工学ということを始めた。叔父四郎は国語学者で、筑波大学教授になった
林望,同上。p.236-37)

へえ、そうだったのかー。林健太郎氏の甥、だということは知っていたけれども。