牛の首

終日雨。
今日から、天満橋で「OMM古書ブックフェア」がやっているのですが(三日まで)、所用あって行けず。研究室の先輩や同輩は、授業が終るといそいそと出掛けてゆきました。ああ羨ましい。
さて今日は、「牛の首」について、ちょっと書きます。
東雅夫『百物語の百怪』(同朋社/角川書店)を読んで、「牛の首」という短篇小説を知りました。

百物語の百怪-ホラーJ叢書 (ホラージャパネスク叢書)
第六十話◆牛の首
小松左京の掌篇小説。昭和四十年(一九六五)二月八日付の『サンケイスポーツ』に発表。勁文社版『小松左京ショートショート全集』所収*1
語り手の「私」を前に、S氏とT氏が思わせぶりな会話を交わす。
「こわい話をずいぶん聞いたけど、一番すごいのは『牛の首』の話だな」
「あれは本当にすごい。それに後味が悪い」
その話を知らない私が、ぜひ聞かせてくれと頼むと、両人は急に青ざめ鳥肌を立てて言い渋ったあげく「この話を聞いたものには必ずよくないことが起こるといわれている」「思い出すのもいやだ」と言って拒絶する。
私は怪談好きの友人や作家に片端から「牛の首」という話を知っているか尋ねる。すると多くの者が「知っている」と答え、「怪談として最高によくできている」「あんな恐ろしい話は聞いたことがない」と言いながら、一様にその内容を語ることを拒む。
躍起になった私は友人たちから「牛の首」と仇名されるまで探究に入れ込み、ついに話の出所を突きとめる。ミステリーの老大家O先生が、中央アジアサマルカンドで採集して伝えた話だというのだ。私がO先生のもとへ押しかけ話を聞かせてくれというと、Oは恐怖と狼狽の表情を浮かべ、「今日は用事で出かけるから、明日の午後来たまえ」と言う。翌日尋ねると、Oは外国へ旅立った後だった……。
百物語を語り連ねることで怪異を召喚する百物語の対蹠に位置するかのような、語り得ぬことによって怪異そのものと化す物語をテーマとする絶品。怪異を物語るという行為と、それが誘発する虚実の相互侵犯という問題を考えるうえで、逸することのできない作品である。(p.197-98)

これは都市伝説にもなっているようで筒井康隆さんがエッセイで取上げたことが、どうやら伝説化した理由であるらしい*2。しかし結局は正体不明なので、なんだか不気味です。
ところで。昨日の授業で、もうひとつ思い出したことがあります。
余談のなかに出てきた、「豆腐」と「納豆」の話。これらは日本に入ってきてから逆に名づけられてしまったのだ―、という俗説があるということ。すなわち、豆が腐っている*3「納豆」こそ「豆腐」と呼ぶべきで、豆が納まっている「豆腐」こそ「納豆」と呼ぶべきであったはずだ、という俗説です。
私がこの俗説の存在を知ったのは、高坂登『大人のための漢字練習帳』(アスキー)によってであって、この本はその説を一蹴しています。

大人のための漢字練習帳
まずは「とうふ」の説明からいくが、これは紛れもなく中国生まれの食品である。中国の古典に残されていた記述によれば、製造過程で細かくひいた豆があたかも腐っているように見えることから「豆腐」という名前がついたとある。(中略)
一方の「なっとう」は、日本生まれの食品名。お寺に会計事務を行う「納所」(なっしょ)と呼ばれるところがあるが、そこで働くお坊さんが作り出したことから、「納所」のお坊さんが作った「豆」、「納豆」になった。
いまのものとは異なり、見た目は甘納豆のようなものに近かった。製造方法もちがい、蒸し大豆に麹を加えて発酵させ、塩水に漬け、重しをして熟成させてから、さらに香料を加えて乾燥させた。庶民の食べ物というより、修行僧たちが口にする精進料理の一種というのが正確である。
いまや「納豆」といえば、納豆菌を繁殖させて作った糸引き納豆を指す言葉に変わってしまった。「豆腐」「納豆」俗説の登場は、時代によって移り変わる言葉の使われ方とも密接に関わっていたようである。(p.173)

また、「豆腐」の「腐」は、「くさる」ではなくて「かためる」意なのだ(ここを参照)、という見方もあるようです。
「豆腐」「納豆」俗説のような「もっともらしい説」を探すのもまた面白いので、最近見つけたものに、次のようなものがあります。冒頭の一文はもちろん、「強に」以降がちょっと可笑しいのですが、「豆腐」「納豆」俗説よりも、まだかわいげがあるといえます。

「フラスコ」は「不落子」と書くべきか。清異録云、不落ハ酒器也。楽天送春詩ニ、銀花不落従君勧、馮王家有水晶ノ不落一雙。しかれば不落は酒器なり。強(あながち)に硝子(びいどろ)の酒器には限るまじく覚ゆ。
(曉鐘成『蒹葭堂雜録』二之卷)

*1:井上雅彦編『物語の魔の物語―異形ミュージアム(2)』(徳間文庫,2001)にも収めてあるみたいです。

*2:前掲サイトでは、その後「新しい事実が判明した」として、そうでない可能性もあることに言及しています。

*3:本当は、「醗酵している」のであって、「腐っている」わけではない。