完本 美空ひばり

この前すこし触れた、「i feel(夏号)」がネットで読めるようになりました柳瀬尚紀さんと桐谷エリザベスさんの対談がおもしろい。アメリカ人は日本人ほど電子辞書に馴染んでいないとか、柳瀬さんが『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳するときに古書店を儲けさせたとか、dove と pigeon のニュアンスの違いとか。

辞書はジョイスフル (新潮文庫)
ほんとうに必要になるとき、辞書は辞書となる。そして辞書が辞書となるとき、世の中に辞書というものの存在することがありがたくなり、ジョイスフルな気持にもなれるのだ。『フィネガンズ・ウェイク』翻訳者として、そのことを強くいっておく。
ところで『フィネガンズ・ウェイク』は、翻訳不可能といわれてきた。むろんいまなおそう信じている人たちは多く、そういう人たちはヤナセ語訳『フィネガンズ・ウェイク』なんぞに見向きもしない。
たしかに翻訳不可能という言葉は、穏便な、それゆえに信用されやすい言葉である。人間、穏当なことをいっておけば信用される。過激なことをいえば警戒されるし疑われる。(柳瀬尚紀『辞書はジョイスフル』新潮文庫,p.32)

完本 美空ひばり (ちくま文庫)
さて、演習準備の合間に、竹中労完本 美空ひばり』(ちくま文庫)を読んでいるのですが、これが非常におもしろい。
竹中労美空ひばり」は1965年に単行本として刊行され(弘文堂)、原稿を追加して、1987年に朝日文庫朝日新聞社)に収められました。さらに1989年、つまり美空ひばりの没後に、追悼文を加えた「増補・美空ひばり」が刊行されました。本書は、それに「竹中労がえらぶ・ひばり映画ベスト10」などを加えた「完本」です。美空ひばりの十七回忌に合わせて刊行されました。
まずは坪内祐三さんが、竹中労『芸能人別帳』を評した文章で、つぎのように書いていることに注目。

先入観に毒されていた私は、竹中労の文体をワンパターンと誤解していた。しかし、読み進めて行けば、竹中労は、対象の好悪に応じて、様ざまな文体を使い分けていたことがわかる。例えば、読者は、清楚なふりをした新珠三千代の高慢を厳しく批判した「美女仮面・新珠三千代」と、生まれながらの女優である山田五十鈴を描いた「哀別離苦の山田五十鈴」の優しい文体の違いを、ぜひ味わってもらいたい。
坪内祐三『文庫本福袋』文藝春秋社,p.138)

そして、『完本 美空ひばり』の文体も、かぎりなく優しいのです。

私の戦後は、いうならば父(画家の竹中英太郎*1のこと―引用者)の影を踏むまいとして日共(ボル)に突っぱしり、五・三〇事件の蹉跌からしだいに左翼革命戦略に絶望して、「左右を弁別すべからざる」アナキズムへと回転していった。その転機に、ひばりのうた声は杭を打ちこむように強烈に置かれたのである。(p.274)

と書く著者にとって、「評論家ふうには客観的には、美空ひばりを」語れない*2
ひばりを快くおもわない笠置シヅ子を「心のせまい、意地の悪いところのある人であった」(p.72)と手きびしく批判し、徳川夢声*3のような人でさえ容赦はしない(p.279-80)。また、ひばりの母親加藤喜美枝さんをバッシングから擁護し*4、ひばりと離婚した小林旭に対しては、「心情の優雅さを欠如した男性」(p.164)と言ってのける*5。それらから感じられるのは、美空ひばりの歌に、そしてひばり自身に対する愛情なのです。

ほとんど私は、ひばりの歌と共に生き、芸能記者として彼女のプライバシー、家庭の問題にまで立ち入ってきた。むしろ好意的に、山口組との関係を暴き*6、母親を怒らせて足は遠のいたが、恋愛よりも強い感情を、ひばりにいだきつづけてきたのである。(p.325,初出は「日刊スポーツ」1989.5.6)

ところで、あるときひばりの誕生日会に出席した著者は、酔っぱらったひばりに「やい、あんまりホントのこと書くなよ」とたしなめられたそうです。それほど本書は、等身大のひばりを赤裸々に描いています。

*1:いま、その見事な挿画をかんたんに見ることができるのは、『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩集』(創元推理文庫1984)所収の「陰獣」。中井英夫は「解説」で、次のように書いています。「(竹中英太郎は―引用者)昭和十四年にハルピンから強制送還されてからは甲府へ引き籠ったきりなので、いまはその名を知る人も少ないが、実は八十歳近い現在も健在であり、子息竹中労のために少しずつ絵筆を取るようになったと伝えられている」。中井は、平凡社の『名作挿絵全集』(第八巻)に、「その画風は決してエログロではない、いつの日か『竹中英太郎画譜』が刊行されるとき、日本のビアズレーとして世界から双手をあげて迎えられるだろう」という内容の解説を書いたことがあり、それを喜んだ英太郎が、出版社をつうじて一葉の色紙を中井に贈ったのだそうです。

*2:ちなみに竹中は、美空ひばりを「(日本の)大衆の歌い手」と評していますが、別の見方もあります。たとえば吉田司さんは、ひばりの父増吉の戸籍に注目して、「ひばりの歌声を『日本庶民』の喜びと悲しみを映す鏡として扱ってきた竹中労大下英治や上前淳一郎らの記述は多くの変更と訂正を強いられるだろう」(吉田司『ひばり裕次郎 昭和の謎』講談社+α文庫,p.154)と書いています。

*3:ひばりの歌を「亡国の音楽」と評したそうです。

*4:笠原和夫さんも、こう言っています。「あのママさん(喜美枝さんのこと―引用者)というのはなかなか低姿勢でしたからね。そんなに難しい人じゃなかったですね」(笠原和夫 荒井晴彦 スガ秀実『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』太田出版,p.41-42)。

*5:夭折した赤木圭一郎も、小林旭に批判的だったのだそうです。ただし著者が、「なにも小林旭の悪口をならべたくて、この文章を書いているのではない。芸能人、スターなるものの一般的なイメージを描くために、旭を例にひいているのである。(中略)旭だけではない。それは戦後の若いスターに共通した情念なのだ」(p.165)と書いていることに注意。

*6:竹中は、「必要悪」の関係だったと書いています。