乱歩作品の挿画

id:Akimboさん経由で、つい先ほど知ったこと。
あの「お言葉ですが…」が、「Web草思」で「新・お言葉ですが…」として甦っていた。昨年末から告知がなされていたというが、全然気がつかなかった。

大衆の心に生きた昭和の画家たち (PHP新書)
中村嘉人『大衆の心に生きた昭和の画家たち』(PHP新書)は全体的に話題の脱線が多く、表現の繰り返しも多いのだが、本を読むというよりもむしろ好々爺に昔の話を伺っているような感じがして大して気にならず(特に終章は、同書のテーマと殆ど関係のない思い出話なのである)、というか却ってそれが楽しく、興味をそそられる話が幾つかあった。
これを読んで、私自身、「少年探偵 江戸川乱歩全集」(全四十六巻)の挿絵に親しんでいたことに改めて気づかされた。不知不識の間に、各巻の挿画の印象が刷り込まれていて、「たしか、この巻とこの巻の挿画担当は同じ人だったような……」と思って実際に確かめてみると、大体当たっているのである。それくらいインパクトがあったというわけだ。
私が読んだポプラ社版は、カバー絵・挿絵とも柳瀬茂、岩井泰三の手になるものが多い。ちなみにいうと、『悪魔人形』はカバー絵・挿画とも柳柊二が描いていて、特に人形の歩いている絵などはいま見ても十分怖い。
発掘!子どもの古本 (ちくま文庫)
北原尚彦氏も、その著書『発掘! 子どもの古本』(ちくま文庫)で、小学生のころポプラ社版の乱歩全集に親しんだことがあると述べた上で、しかし当時刊行されていた講談社の「少年版江戸川乱歩選集」(全六巻)の方は手に取ることが出来なかった、と書いている。その理由は、「函に描かれている絵が、あまりにもコワ過ぎた」からだという。この函絵担当は生頼範義。挿画は各巻によって異なっているのだそうで、藤本蒼*1(『蜘蛛男』)、佐々木豊(『一寸法師』)、坂口武之(『幽鬼の塔』)、稲垣三郎(『人間豹』)、篠崎春夫(『三角館の恐怖』)、長谷川晶(『幽霊塔』)といった面々が手がけているらしい。
ちなみに北原氏の本は、リライトの問題についても触れている。つまり、元来大人むけだった乱歩の小説(ポプラ社版全集でいうと、第二十七巻以降*2に相当)を、誰が子供向けに書き改めたのか? という問題である。ポプラ社版の二十七巻以降がリライトだったということは、私自身は、中島河太郎「少年探偵 江戸川乱歩全集について」(『仮面の恐怖王』ポプラ社*3所収)で知ったのだが、それから暫く乱歩自身が書き直したものとばかり思い込んでいたのだった。しかし、第三十巻の『大暗室』で、怪人二十面相が人を撃ち殺すくだりを読んでショックをうけ(二十面相、もしくは四十面相は、血を見るのがなによりも嫌いだったはずだ)、これはいくらなんでも乱歩先生自身が改作したものではないだろう、いやきっとそうだ、と確信していたのだが、では具体的に一体誰が改作したのかということになると、結局は分からずじまいだった。北原前掲書によると、先述の講談社刊「少年版江戸川乱歩選集」では、『蜘蛛男』『幽霊塔』を中島河太郎が、『一寸法師』『三角館の恐怖』を氷川瓏が、『幽鬼の塔』『人間豹』は山村正夫が、それぞれリライトを担当しているらしいが、ポプラ社版はそのほとんどを「氷川瓏が担当したのだという」。
話を元に戻すと、『大衆の心に生きた〜』にも、乱歩作品のカバー絵もしくは挿画について書いてある。もっとも少年物は梁川剛一の『怪人二十面相』『少年探偵団』くらいで、その他に挙げられているものは大人向けの小説の挿画である。たとえば、『陰獣』の竹中英太郎。これは現在でも創元推理文庫版(「日本探偵小説全集」の一冊)で入手可能ではないかと思う。また、乱歩も絶賛した『パノラマ島奇譚』の岩田準一の挿画(p.86)は、初めて見た。
『大衆の心に生きた〜』は、テレビ登場前夜までを描いているのだが、そうすると今度は、これも最近出た、北村充史『テレビは日本人を「バカ」にしたか?―大宅壮一と「一億総白痴化」の時代』(平凡社新書)あたりが気になって来る。

*1:そう云えば、最近入手した『ミラーマンの時間』の表紙画がこの人の絵だったっけ。

*2:第二十六巻までは、勿論乱歩自身が書いている。

*3:現在の再編版には恐らく入っていないだろう。