字幕屋のうちあけばなし

京都へ行って来た。「白川靜先生を偲ぶ会」。本邦初公開の写真を沢山見せてもらった。西田龍雄先生が…、石塚晴通先生が…。某政党のK議員が、「萬葉集」を「マンニョーシュー」と発音していたのが印象的だった(まだ四十なのに)。
行きの電車内で、太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書)を読む。自嘲的な書名がいいし、内容もなかなか面白い。あの清水俊二の名もチラホラと出て来る。
まず、字幕に句読点が無いということは前から気にはなっていたが、どうもこれは技術的な問題ではないらしい(「句読点の苦闘」pp.51-59)。
そして、例えば次のような話。

常用漢字表に忠実な会社から仕事がきた場合、字幕屋が最も恐れおののく言葉に「わたし」がある。「わたし」を「私」とは書けないのだ。
「私」の正しい訓読みは「わたくし」であって「わたし」ではない。(p.73)

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「わたくし」=「正しい訓読み」というか、これは正確には「常用漢字表で認められている訓」ということで、「わたし」は表外の訓*1ということなのだが、なるほど、いたずらに字数をくうこのテの言葉が字幕屋の「敵」というわけか。
また「勝手にキャラづけ〜言葉遣いの『色』」(pp.93-100)は、純然たる「役割語*2に関わってきそうな話。

たとえば、米国大リーグやNBAのアフリカ系(黒人)選手。本人は穏やかに知的なまなざしさえ浮かべてしゃべっているのに、字幕では「おれは絶対に勝てると信じてたさ! チームの連中もよく頑張ったよ! 最高のプレーだったぜ!」などとなっている。
「さ」とか「ぜ」とか、いちいち文末に「!」とか、まるで口調に合っていない。この字幕をつくった人の心のなかにも、「黒人のスポーツ選手だから」という偏見(固定観念)があったのではなかろうか。そもそも彼の一人称は「おれ」でいいのか?(p.95)

やはりというか何というか、『ピエロ・ル・フ』の話もちょっと出て来た(p.123)。それから、 political correctness にたいする揶揄や反論が一九九五年前後から既にみられたという話もあったし(p.130)、国や「知識格差」の相違によって、「共通認識」*3(主として固有名詞)の線引きをどのようにすべきかという話題(「読めない! 〜流行の壁」「売りたい! 〜復活編」など)もなかなか興味ふかいものだった。
以下は、同感した主張。

現代は、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感のうち、視覚から得る情報が突出して多いらしい。確かに、テレビやインターネットの存在は大きいし、われわれの映像を見る目は、ある意味で肥えてきている。たとえば映画の黎明期に、迫り来る列車や銃撃戦の映像を見て逃げまどった人々に比べれば、はるかに映像慣れしている。だがそれを威張れるだろうか。
列車がこちらに向かって突進してきても自分は轢かれないということや、いくら激しい銃撃戦でも弾が自分に当たることがないと知っていることが偉いと言えるのか。むしろ、カメラに向かって放たれた銃弾に身をすくめるくらいの共感こそ大切なのではないか。映像を見る目も、いびつに肥えれば、それはただの慣れ・愚鈍である。(pp.145-46)

映画のクライマックスで、死を決意した兄がかわいがっていた妹との別れ際に、死の決意を隠したまま「バイバイ」と言い、少し間を置いてもう一度、思いを込めて「グッバイ」と言うシーンがあった。
従来の字幕屋ならば、「バイバイ」だの「グッバイ」だの、聞けばわかるようなせりふにいちいち字幕はつけない。余計なお世話だからだ。ただ、きわめて重要で印象的なシーンだし、兄と妹の顔がアップになっているので、字幕が出たほうが見る側も安心かなと思い、「バイバイ」「さよなら」と入れてみた。
すると、配給会社から注文が来た。「ここは聞けばわかるせりふなので字幕はやめましょう」という注文なら喜んで応じたろうが、さにあらず。先方は、こうのたまったのだ。「『僕の大切な妹』『さよなら』という字幕にしてください。ここは泣かせどころですから」
恐れていたことがついに現実のものとなった。必殺「泣かせ操作」だ。
「バイバイ」という英語が「僕の大切な妹」という日本語に化けてしまう恐ろしさ。(中略)
「バイバイ」は「バイバイ」だろう。甘ったるいせりふにすりかえるより、今生の別れなのに「バイバイ」としか言えない兄のつらい心情や微妙な表情をこそ読み取るべきではないのか。そこまで介入する必要がどこにある。(pp.167-68)

*1:表外の音訓には、改めて見てみると意外に思われるようなものも結構まじっている。たとえば、「若」=「ニャ」とか「山」=「セン」とか「類」=「たぐい」とか「留」=「とど(まる)」とか「未」=「ま(だ)」とか。

*2:金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)参照。

*3:もっとも、そういう約束事はすでに崩壊してしまっていると太田氏は書いているのだが……。