キャロルのことば遊び

このところ散財ぎみですし、レポートをいくつかかかえているので、今日はおとなしくしておこう。そう決意し、八月十日までに仕上げなければならないレポートの関連論文を二、三本読んでいたら、なんだか疲れました。
あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)
保阪正康『あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書』(新潮新書)読了。いかんせん新書なので*1、やはり物足りなさがありますが、一九三〇年代後半から敗戦に至るまでの「通史」を復習するためにはちょうどよい本でしょう。個人的にタメになったのは、第一章「旧日本軍のメカニズム」。「師団」とか「艦隊」とかいった戦略単位の話や、「軍令」「軍政」の違いなどについて書いています。
開戦に至るまでの裏のシナリオを書いたのが、海軍国防政策委員会の「第一委員会」であったという話も刺激的で(p.89-92)、いわゆる「陸軍悪玉説」を斥けています。
また保阪氏は、山本五十六を「机上の駒を動かしているだけの者たちよりずっと優れた指揮官である」と評しながらも、「戦争全体を見極めて、どう行動を取るのか、そうした“戦略家”とはなりえなかった」(p.135)と断ずる。その個人のレベルを敷衍して、太平洋戦争とは「戦術」はあったが「戦略」なき戦争であった、とのべ、その主張を本書で何度か繰り返しています。「戦略」がなく、しかも「勝利」「戦時」の定義が曖昧なまま(p.148-49など参照)始めてしまった戦争なので、当然ながら勝ち目はなかったわけです。
最後の第五章「八月十五日は『終戦記念日』ではない―戦後の日本」は、佐藤卓己八月十五日の神話』(ちくま新書)に関連する部分でありましょうが、戦後も異国の地に留まった名もなき兵士たちに触れ、「あの戦争」について軽軽に語ることの愚を戒めています。
不思議の国の論理学 (ちくま学芸文庫)
ルイス・キャロル 柳瀬尚紀編訳『不思議の国の論理学』(ちくま学芸文庫)もついでに読了。面白い。頭の体操にちょうど良い。1977年にエピステーメー叢書(朝日出版社)の一冊として刊行されたもので、1990年、河出文庫に収められたのですが、先月刊行されるまで長らく絶版状態でした。暇なときに、気になるところからちょこちょこ読んでいたら、あれも読んだしこれも読んだし―で、読了してしまったことに気づいたのです。読み終えるのが惜しい本でした。
いわゆる「四色問題*2にふれた文章もあって、キャロルは「4色で充分であるということは、まだ数学的に証明されていない」と書いています(p.94)。
ロビン・ウィルソンの『四色問題』(新潮社)にキャロルが出てくるのは、第六章の冒頭部。その紹介文が、数学者としてのキャロルを知るのにちょうどよいと思われるので引いておきます。

四色問題
四色問題を楽しんだビクトリア朝のイギリス人の一人に、『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の著者として知られるルイス・キャロルがいる。彼の本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンと言い、オックスフォード大学クライストチャーチ学寮の数学教師だった。彼は、伝統的な幾何学のアプローチを擁護し、特に、ユークリッドの『原論』の研究を重視していた。また、記号論理学という数学の一分野で先駆的な研究をしたことでも知られている。彼については、『アリス』を好んだビクトリア女王から「次の作品を送ってほしい」と言われて『行列式入門』を送ったが喜ばれなかったという逸話が残っている(ドジソン自身は常にこの話を否定していた)。(p.115,茂木健一郎訳)

また、キャロルは「ことば遊び」の先達としても著名で、『不思議の国の論理学』には、ダブレットアナグラムアクロスティックなど様々のことば遊び/ゲームもちりばめられています。
桑原茂夫さんは、『ことば遊び百科』(筑摩書房)で、キャロル(ドジソン)を次のように紹介しています。

不思議の部屋 1 ことば遊び百科
不思議の国のアリス』は、アリス・リデルという少女に、ピクニックの途中で話して聞かせたおかしな物語を童話に仕立てたものだが、ここにはさまざまなことば遊びがふんだんに盛りこまれている。ところでドジソン先生には、このアリス・リデルをはじめ、たくさんのガール・フレンドがいた。ガール・フレンドといっても、三十も四十も歳の離れた幼い少女たちばかりである。そのガール・フレンドたちを、ことば遊びだけでなく、いろいろなパズルで楽しませていたらしい。知り合うきっかけにパズルを使うこともあったくらいだから、大学の教授にしてはちょっと変わった先生だ。うさんくさいおじさんと思われることもあったにちがいない。
もうひとつルイス・キャロルについて忘れてならないのは、この先生がカメラマンでもあったことである。当時は写真が発明されてまだ間もないころだったが、好奇心の強いドジソン先生のこと、さっそくカメラを手に入れて、友人たちやガール・フレンドたちを撮りまくったのである。そして、写真の歴史にも名をとどめるほど、みごとな写真を残している。
数学、ことば遊び、写真、どれをとっても、すべてドジソン先生の遊びが超一流であったことを物語るものばかりである。大変な先生がいたものだ。(p.8-9)

桑原氏が書いているような「人間くささ」は、『不思議の国の論理学』からもうかがい知ることができます(ガール・フレンドに宛てた手紙からの引用もある)。
ちなみに、「ルイス・キャロル」というペンネーム自体も、「ことば遊び」から生まれたのだそうです。

かのルイス・キャロルも、本名 Charles Latwidge Dodgeson のファースト・ネームとセカンド・ネームをラテン語に直し、 Carolus Ludovicus とし、さらにこの二語の前後を入れかえたうえで、もう一度英語にもどして得ることのできた名前が、 Lewis Carroll となるのだそうだ。(桑原前掲書,p.121)

*1:そのためなのか、「それは飛躍のしすぎではないか」という疑義もある。たとえば、戦後日本人の変り身のはやさは「日本人の国民性」によるものである、と一般化するなど(p.223)。

*2:どんな地図(もちろん架空の地図でよい)でも、多くても四色あれば塗り分けられてしまう、という問題のこと。一九七〇年代後半に、コンピュータによって「証明」されてしまいました。