「善魔」なる人間性

木下惠介 DVD-BOX 第3集
 木下惠介『善魔』(1951,松竹大船)を観る。全くまとまりのない作品ですが、そのまとまりのなさは多分、原作(岸田國士による)の缺陥に由来するのではなくて、演出が主題を御しきれなかったからなのだと思います。それは決して木下監督の力量不足によるのではなくて、主題がとてつもなく複雑なものであったことによるのでしょうが、だからといって本作品が凡作であるわけではありません。むしろ佳作の部類に入るだろうと思います。
 さて、「善魔」とはいったい何か。この言葉は、『日本国語大辞典(第二版)』にも、『大漢和辭典』にも、『漢語大詞典』にも採録されていません。造語です。かつて遠藤周作の造語だ、ということを聞いたことがあるのですが、真偽のほどは分りません。劇中では、中沼茂生(森雅之)が部下の三國連太郎三國連太郎)に向かって、つぎのように語るシーンがあります。

 僕はむかし学生時代に、ある坊さんから聞いた話を近頃になってフッと思い出したんだ。その坊さんがいわくだ、この世の中に、善はなぜ悪に太刀打ちが出来ないか。彼は、それを神仏の本性と深い関係があると説いた。いいかね。彼にしたがえば、人間の善性はもともと自らを守ることが精一杯、すすんで悪に戦いを挑み、その喉ぶえを締めるようなことはしない。だから、この社会を幾分でも救うためには、人間の心性ないし言性(?)にだね、ひとつの新しい性格を与えなければならない。つまり、……つまり、悪がその本来の姿の中に持っているようなしぶとさ、たくらみ、寡黙さを必要とする。これを魔性というなら、その魔性こそ、善を悪との戦いに駆り立てて現実的な勝敗を決せしめる要素だというんだ。魔性の善、すなわち善魔なる人間性を仮定することは、たしかに坊さんらしくて僕は面白いと思うね。

 三國はこれを黙って聞き終えた後に、「どうも部長、今晩ヘンですよ」と受けます。この話題はそれきりなのですが、しかし、後の展開の重要な伏線となっています。
 それはラストまぎわになってようやく分ります。三國が、愛人(小林トシ子)を捨てた中沼*1と、夫(千田是也)を捨てた北浦伊都子(淡島千景)に向かって、「過去は葬れるかもしれないが、現在は葬れない」と言い放つシーン。伊都子はそこに、「善魔」としての連太郎を見るのです。

伊都子「初めてだわ、あんな善良な人の口から、あんな、ものすごく不気味な…何ていったらいいのかしら」
中沼「魔性の声…」
伊都子「そう、魔性。魔性の声を聞いたのは。わたくしたちも、あれぐらい強くなりたいわ。ならなくちゃいけないわ。(※ここで泣き声になる)あの声を聞いた以上、わたくしたちはもう、何もかも無かったことにして、…このままお友達として、きれいにお別れしましょう」

 中沼や伊都子は強がってはみせるのですが、めいめいが弱さを抱えている。そこを見事に衝くのが「善魔」たる三國連太郎なのですが、しかしそれは三國自身の弱さゆえのことではなかったか、ということが最後の最後に分ります。ラストで泣き崩れる三國。そこにはもはや、「善魔」の姿は影も形もありません。一人の人間の、まったく平々凡々たる行動をフレーム内に淡々と収めているだけです。
 そして鑑賞者は、中沼や淡島だけではなく、「善良」といわれる三國も身勝手な人間であることを知り、人間なるものは善悪二元論で分類できないということを痛感するのです。全篇が不安定なのですが、それだけは三國のいう「真実」であるらしいことが分ります。
 また淡島千景の美しさはもちろん、上では触れませんでしたが、鳥羽三香子(桂木洋子)の愛らしさが作品を引立てています。鳥羽了造(笠智衆)の実直な演技も光っています。
 ちなみに、三國連太郎(本名:佐藤政雄)は、この作品で「三國連太郎」役としてデビューし、それがそのまま藝名になってしまった、というのはわりと有名な話で、何かのクイズ番組でも出題されていました。

思ひ出55話 松竹大船撮影所 (集英社新書)
一九五一(昭和二十六)年初め頃、三國連太郎さんが入社手続きのため事務所(人事課)に来られた時、一瞬「長身でなんて素晴らしい男だろう」と事務所の連中がお互いに顔を見合わせたことを覚えています。服装は米軍の野戦服か、ジャンパーのような、グリーン系の実に格好いい物を見に着け、スマートな歩き方で、挨拶されました。面接の時、いろいろ質問の後、本人は「私は何も着るものがなくて、千葉の友人に借りたものです」と言われてました。入社されて翌日よりステージ、セットで撮影中の木下監督作品の『善魔』に出演、その劇中の人物「三國連太郎」をそのまま芸名にするとの話で、又ビックリしたものです。(鳥飼正彦「空襲・終戦・戦後」―森田郷平・大嶺俊順編『思ひ出55話 松竹大船撮影所』集英社新書所収,2004.p.72)

 ここで余談をひとつ。
 木下惠介と澁谷實の不仲は有名ですが、『善魔』が完成した頃に起った小さな「事件」を紹介しておきましょう。「松尾」というのは「松尾食堂」のこと、「月ヶ瀬」も同じく食堂の名です。

松竹大船撮影所前松尾食堂 (中公文庫)
 『カルメン故郷に帰る』より前に封切られた、木下監督『善魔』(二月封切り)の完成祝は「月ヶ瀬」でした。
木下組の完成祝は必ず「松尾」ときまっていたのですが、この時は渋谷先生が「松尾」に頑張っていらしったのです。
 澁谷先生はお一人で、例の小座敷(以下の引用を参照―引用者)で、
「今、淡島クンが来るからな」
と、おっしゃったきり、ムッツリしていらっしゃいました。お店には他に誰もいらっしゃいませんでした。
「今来る」と言われた淡島さんはなかなか現われません。淡島さんは『善魔』の主役で、木下組の完成祝に出られていたのです。
 イライラしていらっしゃる先生。ハラハラしている私。
「お待たせして……」と淡島さんが入って来られましたが、先生の前には坐らず、小座敷の上りはなに立ったまま、二言、三言、お話をなさっていました。私は調理場へ引っこみました。
 と、店の戸が開いたので「いらっしゃい」と言いながら店へ出ると、ほろ酔いの木下先生がさっと入っていらっしゃるなり、
「淡島クン、行こうよ」
と、淡島さんの肩を抱えるように手を掛けられ、渋谷先生にはおかまいなく、
「淡島クン行こうよ、行こうよ」
と、グングン引っ張り、連れ出してしまいました。
 渋谷先生は一言もおっしゃらず、ますます苦虫を噛みつぶして、プイと出て行ってしまわれました。
淡島さんを映画にデビューさせた(『てんやわんや』を指している―引用者)のは誰あろう渋谷先生ですし、『善魔』の主役に使われたのは木下先生。
 あちら立てればこちらが立たずで、淡島さんはさぞお困りだっただろうと、お気の毒に思いました。
(山本若菜『松竹大船撮影所前松尾食堂』中公文庫,2000.p.146-48)

 また、以下は、両監督の仲違いの「原因」についてふれた文章です。

 ワンス・アポンナ・タイム……松竹大船撮影所の近くには、いくつかの食堂が並んでいた。「月ヶ瀬」―和食、お酒。「ミカサ」―洋食、コーヒー。「松尾食堂」―和食、割烹、お酒。この三つが、食堂の御三家といったところであろう。監督やスタッフは、それぞれ、馴染みの行きつけの店があった。小津先生(小津さんだけは「先生」とよばれていた)は「月ヶ瀬」。(中略)
 「松尾食堂」は、渋谷さん、木下さんの居城であった。小津組の助監督やスタッフが、小津先生に遠慮してあまり「月ヶ瀬」に出入りしなかったのに対し、渋谷組、木下組の連中はほとんど「松尾」の常連であった。(中略)
渋谷さんと木下さんの仲がねじれたのがこの小座敷(「松尾食堂」にあった六畳ほどの小座敷で、いわゆる「特別席」―引用者)が原因であった、という説がある。その日、渋谷組はロケか何かで外に出ていたので、「松尾」の小座敷で木下組が食事をしていると、突然、予定が変更したのか、渋谷組が「松尾」に現われた。木下さんは礼儀正しく、先輩の渋谷さんに挨拶をしたが、特別席を占拠されているのに腹をたてたのか、渋谷さんはムッとした顔で挨拶もかえさず、そのまま店を出て行った。それ以来、二人の仲がおかしくなった、という。これはあくまでも風説であって真偽の程は分からない。
(佐々木孟「撮影所周辺食堂図絵」―森田・大嶺前掲書所収,p.56‐58)

 のちに渋谷監督は、木下監督との仲違いがさらにひどくなると、「松尾」を「ミカサ」へと乗り換えた(山本前掲書,p.141)のだそうです。
 『松竹大船撮影所前松尾食堂』には、その他にも色々な裏話が載っています。

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 「本棚の中の骸骨」で、柴田宵曲『妖異博物館(正・続)』(ちくま文庫)の表紙カバー写真と詳細が見られるようになりました。楽しみだ。
 七月三十一日*2に録画しわすれ、八月四日は寝過ごして観られなかった中平康『危(やば)いことなら銭になる』(1962,日活)が、よみうりテレビのシネマダイスキ*3でも放送されることを知って、録画して観ようと思っていたところが、またも録画し忘れ、ちょっと落ち込んでいました。が、チャンネルnecoが九日にも再放送することを知って、ほっとひと安心。
 そもそもなぜ『危いことなら銭になる』に拘泥するのかというと、一昨年の秋にチャンネルnecoが「中平康レトロスペクティヴ」の連動企画として中平の主要十作品を放送したときに、予告篇*4も上映していたのですが、その予告VTRでいちばん気になったのが『危いことなら銭になる』だったからなので、浅丘ルリ子に投げ飛ばされて「お見逸れしました」と降参する宍戸錠の姿がなぜか忘れられませんでした。
 また、ミルクマン斉藤監修『中平康レトロスペクティヴ』(プチグラパブリッシング)で、ミルクマン斉藤氏が「この作品の中平はシュールにまで至るギャグ・センスという点で、マルクス・ブラザースなどと比肩しうるほど先鋭的・攻撃的だ」(p.60)と評しているのを読んで、ますます気になっていたところだったのです。
 ところでこの作品は、「『ルパン三世』のオリジン」であるともいわれ、『危いことなら〜』の脚本をかいた山崎忠昭は、「ルパン」テレビシリーズ第一話の作者でもあるのだそうです。

*1:伊都子のことを十年来恋慕していた。

*2:チャンネルnecoで放送。

*3:第六十五集「嵐を呼ぶわくわくお宝争奪ムービーズ」(「天保山10デイズ わくわく宝島」を意識していることは明らか)の一本。西村潔『黄金のパートナー』(1979,東宝)とか鈴木英夫『悪の階段』(1965,東宝)とかが放送されました。ちなみに今日は、石井輝男『直撃地獄拳 大逆転』(1974,東映)がかかります。

*4:これはまだ、ここで観ることが出来るようだ。