レポートを書くため『論語』陽貨篇第十七を再読。ついでに白川静『孔子伝』(中公叢書,1972)の最初のほうも再読。『論語』のおもしろさを教えてくれたのは、白川静先生であり、また呉智英氏でありました。
呉氏は、山本七平や谷沢永一は「町人哲学のモノサシに合わせた寸足らずの孔子を描こうとし」たと喝破し、巷間で黙殺されてきた『孔子伝』こそ名著である、と述べます。
白川静は、孔子を理想主義者、それも挫折した理想主義者だと描く*1。なぜ、挫折するのか。それは、孔子が、革命者ではあっても、政治的手腕に長けた革命家ではなかったからである。
(呉智英『読書家の新技術』朝日文庫,1987.p.84)
呉氏は、二十年以上前から白川静に注目しており、『封建主義者かく語りき』*2(双葉文庫,1996)の「文献案内」にも、推薦図書として、『漢字』(岩波新書)や『漢字百話』(中公新書)とともに『孔子伝』を挙げています。そこに、「この孔子像は感動的である」(p.231)と書いています。
ちなみに「補論 最近の“儒教再評価”について」では、渋沢栄一の『論語と算盤』を再評価しています。
渋沢栄一は、通俗的な『論語』入門書の著者や読者とちがって、『論語』が“危険な書物”であることを知っていた。知っていた上で、それを飼い慣らせば、資本主義を支える論理となることに気づいたのだ。毒を薬に変えた者のみが、毒が毒であるゆえんを知っていたのである。(p.251)
その呉氏が、たとえ白川静の戒め*3を破ろうとも、「論語の魅力が多くの人に理解されることを選びたい」との思いで書いたのが、『現代人の論語』(文藝春秋,2003)です。
この本については、いつかまた書く機会があるかもしれません。
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ようやく、中平康『危いことなら銭になる』(1962,日活)を録画しました。
ついでに未整理のビデオテープをかたづけていたら、いろいろ出てくる出てくる。橋本忍『幻の湖』(1982,東宝)、木下惠介『破戒』(1948,松竹)、マイケル・ウィナー『妖精たちの森』(1971,米)、豊田四郎『泣蟲小僧』(1938,東宝)、同『白夫人の妖恋』(1956,東宝=ショウ・ブラザース)、新藤兼人『鉄輪(かなわ)』(1972,ATG)、同『絞殺』(1979,ATG)、クレール・ドゥニ『パリ、18区、夜。』(1994,仏)、ヴォルフラム・ヒッセン/ダニエル・ヒッセン『議事堂を梱包する』(1996,仏)…。
鑑賞ずみのものもあるが、観ていないものもたくさん。いつ録画したのか分らないもの(『議事堂を梱包する』など)もあれば、中途でやめてしまったもの(『絞殺』など)もある。こんなに録画しておいて、いったいいつになったら観るというのでしょうか。
ところで来月、小川環樹『唐詩概説』(岩波文庫)が出るらしい。「中國詩人選集」の別卷として出たものです。『唐詩概説』は現在でも入手できるので、できれば『宋詩概説』を復刊してほしい。
集英社文庫ヘリテージシリーズは、寿岳文章訳『神曲』や池内紀訳『ファウスト』、丸谷才一ほか訳『ユリシーズ』を出しているけれども、来月は伊藤博『全釋萬葉集』を出すらしい。全六巻。