坂野比呂志の声

このあいだ酒の席で、どういう話の流れだったかは忘れたのだが、Aさんに「物売りの声とか、香具師の口上とかにも興味があって…」というような話をした。すると彼女が、「ヤシノコウジョウ?」と怪訝な顔付をしたので、「寅さんの…」と言い掛けると、「ああ、それですかー」と納得してくれたのだった。
それをきっかけとして、「金魚ぉーやーー金魚ぉー」とか「なーっとなっとォー」とかいった物売りの声を懐かしく思い出した。もちろん私は、それらを直接耳にした世代の者ではない。父がたまに物真似をしてくれたので、その「父の口吻」を思い出していたのである。
ところで余談にわたるが、「納豆売り」といえば、菊池寛の作品に『納豆合戦』という童話があり、その冒頭部は以下の如くである(『日本の童話名作選 明治・大正篇』講談社文芸文庫を参照した)。

皆さん、あなた方は、納豆売の声を、聞いたことがありますか。朝寝坊をしないで、早くから眼をさましておられると、朝の六時か七時頃、冬ならば、まだお日様が出ていない薄暗い時分から、
「なっと、なっとう!」と、あわれっぽい節を付けて、売りに来る声を聞くでしょう。もっとも、納豆売は、田舎には余りいないようですから、田舎に住んでいる方は、まだお聞きになったことがないかも知れませんが、東京の町々では毎朝納豆売が、一人や二人は、きっとやって来ます。

「大道藝人」坂野比呂志(平成元年没)によれば、「なーっと、なっとーォー」は「地納豆」で、「なっとーォーーみそーまめーェー」は「水戸納豆」、という区別があったのだという。
さて飲み会から帰ってくると、レジュメを作成する気力もなかったので、室町京之介『香具師口上集』(創拓社,1997)を本棚から取り出し、久々に耽読した。それではじめて、「解説にかえて」を池内紀さんが書いておられることに気がついた。池内氏は、坂野比呂志の経歴についてこう書いている。

明治末年、東京・深川の生まれ。酒屋の二男坊が浅草の弁士に憧れ、中学を中退して弟子入りした。とたんにトーキーの時代になってお払い箱。こんどは田谷力三門下のオペラ歌手に早変り。昭和九年に満州へ渡った。その地で何をしていたのか、さっぱりわからない。ついでこの世の登記簿に登場するのは、比呂志・美津子の漫才コンビとしてである。戦後は比呂志・比呂恵で売った。相方を失ったのち、一念発起して大道芸を創設。往来のことば芸を一人でしょって立って、昭和五七年にはお上から芸術祭大賞なんてェものをいただいた―。(p.284)

こんなに面白い紹介文を読んでおいて、附属CDの「坂野比呂志のすべて」を聴き直さないわけがない。
その日は、坂野比呂志の声を聴きながら眠った。
ところで、私が「直接」親しんだ物売りの声といえば、「たけやーァーさおだけーェー」や「いしやーきいもー」くらいなものであるが、「さおだけ屋」(正式名称ではないらしい)の掛け声は、以前は少し違っていたらしいのだ。某所に書こうと思ったことだが、ついでに記しておく。
まずは、宮城道雄『軒の雨』(養徳選書,1947)の「物賣の聲」より。

それから、春先に矢張りかうもり傘の張替屋が來ると、天氣のやうな氣がする。續いて下駄の齒入れ屋、張板、縁臺、さを竹屋なども來るが、さをだけ屋(ママ)の「旗竿や旗竿、さを竹や、さを竹」などと賣り歩く聲を聞くと、天氣の少し暑い加減の氣持がする。(p.40-41)

明治商売往来 続 (ちくま学芸文庫)
仲田定之助『明治商売往来 続』(ちくま学芸文庫,2004←『続・明治商売往来』第三版,青蛙房.1974)の「物売りの呼び声と物音」より。

それからまた「ざるやーァ、みそ漉し」と呼んでくる笊屋。「たけーざおやー、たけーざお」またときには「はたーざおやー、はたーざお」といってくる竹竿屋もある。(p.372)

そういえば思い出したが、宮田章司『江戸売り声百景』(岩波アクティブ新書)をまだ買っていないのだった…。これも、CDが附いている。