色川武大の覆刻本

大学で論文を読み、かつ書く。
賀状を書く。この時期になるといつも、「年賀状なら誰しも貰ってうれしく、返すのは面倒だから、つい返さないのは人情で、深くとがめるには当らない。ただ、そのやりとりは愚かだと説教するのはよけいなお世話である」(山本夏彦「年賀状は虚礼だそうだ」)――という一節を思い出す。

映画放浪記 (大人の映画館)

映画放浪記 (大人の映画館)

色川武大の御家庭映画館』の覆刻版なのだとか。「チャップリンを嫌う人は、キートンを大きく評価する。キートンを好きになれない人はチャップリンのファンだ」(p.16)。まさにそのとおりだ。私は、どちらかというと、キートンのファンである。『モダンタイムス』『黄金狂時代』はまあ好きだが、たとえば『独裁者』は表現が露骨だし、やや「お説教」じみてもいるので、あまり好きになれない。「饒舌」な映画には、どうしても警戒してしまう。
「映画を観て流す涙は、おおむね甘哀しい愉悦の涙で、泣くことで娯しむふうでもあるのだ。近頃でもヒューマンな感情を売り物にする映画はある。それがあまり泣けないのは、ひとつには、登場人物が愚かしくなくなって、生きるための一通りの知識や概念を身につけてしまっているからではないのか」(p.210)。
至言である。まさに至言である。これを聴きながら、ひと休み。何の宣伝だったか、最近、第六番の第五楽章がBGMとして使われている。
全く関係はないのだが、ベームベルリン・フィルの『モーツァルト交響曲全集』が十枚組で覆刻されるみたいだ。来年は、「モーツァルト・イヤー」。モーツァルト関連の本が、新書などでもよく出ていますね。