タイトル、長すぎる。


本棚から、野口悠紀雄『「超」勉強法』(講談社*1が出てきたのだった。
同書のコラム(「コーヒーブレイク」)を眺めていたら、「異常に長いタイトルの本」というのがあった。読んだ記憶すらない。それによれば、「最近の経済学の論文では、主要な結論を冒頭に書くことが多い。忙しい読者(=重要な読者)は、最後までは読んでくれない危険があることを考慮して、そういうスタイルになりつつある」(p.112)ため、「学術論文では、そのような長いタイトルのものがめずらしくない」(同)という。
理系にも「異常に」長いタイトルの論文がありそうだが、文学も、さまで長くはないにしろまた然りである。例えば、「××の○○における□□の基礎学的研究―△△を中心に―」という形式の論文タイトルがあったとして(ありがちなのだけれど)、「××」や「○○」に当て嵌まる固有名詞が長ければ、全体的にやたらと長くなる。
また、野口氏はそのコラムで、「1624年から30版以上を重ねたあるベストセラー」として、『古代および現代の哲学者、自然の秘密、また算術、幾何学、宇宙形状学、時計学、天文学、航海術、音楽、光学、建築、統計学、力学、化学、噴水、花火等の実験より抽出された、現在までに一般には明らかにされていない数学の娯楽および雑多な問題集。大部分の原典はギリシャ語およびラテン語で書かれ、近年フランス語でヘンリー・ヴァン・エッテン・ゲントにより編纂され、そして現在、検証、訂正、付録を加えて英語版で登場』というタイトルを紹介している。そのことは、ここにも書いてある。
それで、ここを読んでいたのだが、やはり、『ロビンソン・クルーソー』の原題の話が出て来る(これは「ピカソのフルネーム」くらい有名な話ですね)。平田オリザの本のタイトルも出て来るが、これは知らなかった。しかし字数で勝負ということになれば、際限がなさそうだし(新たに長いタイトルの論文や本を書けばすぐに記録を更新できるわけですし)、一人で調べるにはどうしても限界がある(無知も曝してしまう…)。
だから、字数に拘らず、私が(背を見て)直感的に「長い」と感じた本のタイトルを挙げてみよう*2。挙げてどうなる、という訳ではないが、とりあえず挙げておきます(翻訳書のばあい、原題は考慮しません。悪しからず)。
まずは、岩波文庫から。ハーヴェイ 暉峻義等訳『動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究』(青帯)。実は、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(通称「プロ倫」)や『社会科学と社会政策にかかわる認識の客観性』(いずれも白帯に入っている)と数字しか違わないのだが、背を見たときに長く感じてしまう理由は、「約二百ページ」という本の厚みにある。つまり、『プロ倫』などと較べるとかなり薄いので、文字がみっしりと「詰まった」感があるのだ。
ちくま学芸文庫では、ルドルフ・シュタイナー 高橋巖訳『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』。シュタイナー四大主著は全て文庫化されているが*3、この本は「神秘学概論」などと較べると薄いので、書名は一行(二行にわたってはいない)だが、これも「詰まった」感がある。
そうだ「副題」というテがあったか、ということで思い出したのが、阿部正路『古代の闇に跳梁した鬼・天狗・河童・狐たちは生きている!? にっぽん妖怪の謎』(ワニ文庫)。バルセロナ五輪の頃に買った本だ。また、画像では副題が見えなくなっているが、小枝義人『永田町床屋政談 議員会館地下二階「宮宗理髪室」で大物政治家たちが語ったホンネ―直球勝負から変化球取材まで―』(新潮OH!文庫)もそうとう長い。
次に新書。望月重『ビルはなぜ建っているかなぜ壊れるか 現代人のための建築構造入門』(文春新書)。文系の方にもおすすめ。非常に読みやすい本です。
続いて単行本。すぐ目にとまったのが、昨年亡くなった見沢知廉氏の、『テロならできるぜ 銭湯は怖いよの子供達』(同朋舎、角川書店)。黄地に茶色の文字だから、目立つ目立つ。
金井美恵子『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』(講談社)。背は、ピンク地に白抜き文字(二行にわたっている)なので目立ちやすいが、それ以上にタイトルが怖すぎる。「山田風太郎覚書」「藤田敏八讚」「東大六万四千字漢字プロジェクト発表会についての報告」などが入っていたので買った。「電脳文化と低脳売文業―「漢字を救え!」キャンペーンをめぐって」とか「しょせん、フェリーニ」とか、激しいタイトルも目立つ。
宮下久夫『分ければ見つかる知ってる漢字 白川静先生に学んで漢字の学習システムをつくる 宮下久夫遺稿集』(太郎次郎社)。著者は、「漢字がたのしくなる本」シリーズ製作の中心にあった方。白川先生が、序文「宮下久夫氏の業績について」を寄せている。
蓮實重彦『私が大学について知っている二、三の事柄』(東京大学出版会)。これも字数はさほど多くはないが、背を眺めると、長いという印象を受ける*4。ちなみに蓮實氏の本には、『映画狂人 シネマの煽動装置』(河出書房新社)があり、この本では「句点」が最後にしか現れない。つまり、全体が読点でひとつづきの文章になっている。蓮實氏自身は、「文体上の工夫などとは思ってほしくない」、「映画に煽動された言葉がここにあるのみだ」、とかいうことを書いておられたが(引用は不正確)、よく分らない。ただ、「現象としての寅さん」論とか、ヴェンダースの『パリ、テキサス』(私も好きな作品である)論とかは面白く読んだ覚えがある。
本棚を見ていると、他にも、新谷尚紀『なぜ日本人は賽銭を投げるのか 民俗信仰を読み解く』(文春新書)、松森靖夫編著『論破できるか! 子どもの珍説・奇説 親子の対話を通してはぐくむ科学的な考え方』(講談社ブルーバックス)などが目に留まったが、要するに、

  • 著者名、出版社名等を除いたスペースを最大限に利用したタイトルであるかどうか

ということが最も重要で、

  • (副題も含めた)タイトルが完結した文章になっているか
  • (副題も含めた)タイトルが複数行にわたっているかどうか
  • 装釘が目立つものであるかどうか

等も、長いタイトルと感じてしまう条件であることが分った。

*1:今さら言うまでもないが、必ずしも凡人向けとは云いがたい「画期的ノウハウ」を開陳したベストセラー。但し、個人的には、「受験数学」の勉強法が、少し役に立ったような記憶もある。

*2:ちなみに、タイトルの「タイトル、長すぎる」は「蛇―長すぎる」(ルナール)を意識しています。

*3:大学二年生のころ、わけもわからず読んでいました。

*4:もちろん、「元ネタ」はゴダール。『彼女について私が知っている二、三の事柄』。一度観たが、ワケが分らない。金井美恵子氏にも、似たようなタイトルの著作がありましたね。