『東亰時代』から

晴。
午から大学。夕方帰る。
帰途、小木新造『東亰時代―江戸と東京の間で』(講談社学術文庫)を購い、喫茶店で読み始める。以前、くうざん本を見るに「亰」字のことで引用されており、気になっていた本だ。
「上からは明治だなどと言ふけれど治明(おさまるめい)と下からは読む」という狂歌を見たのは、十年ぶりくらいじゃないかしら。小学校時代の塾講師も言ってたっけ*1
さて、問題の「亰」字については、次のようにある。

東亰時代―江戸と東京の間で― (講談社学術文庫)
明治元年に描かれた「東幸」の錦絵にはなんと「東亰江戸」と題されているのである。一曜斎国輝や芳年・年景らの画くところの、即位したばかりの若き明治天皇が、九月二十日に京都をたち、十月十三日に江戸城にはいった、いわゆる"東幸"の壮大な錦絵なのである。また「東亰府中橋通街之図」などと題されて「亰」の字が使われていた例もある。その後も「東亰府権知事」(明治九年)「東亰府下暴風景況」(明治十三年)の東京都公文書館所蔵文書にその用例が見られ、明治三十四(一九〇一)年以来、今日もなお継続されている都の修史事業の成果は『東亰市史稿』として続刊中である。
また梅亭金鵞の著わした『東亰漫遊独(ひとり)案内』(明治二十二年)というガイドブックにも例があるが、「亰」を使用した場合、ルビを付したものが全く見当たらない。『康煕字典』など参照すると「亰」は「けい」または「原」の本字として「げん」と読ませ、「きょう」とは読ませないところから、「東亰」の場合は「とうけい」と読ませるのが、当時の通例であったと思われる。(pp.33-34)

kuzanさんが指摘されたように、「『亰』は『けい』または『原』の本字として『げん』と読ませ、『きょう』とは読ませない」というのがやはり問題となる*2
しかも、どのような『康煕字典』を参照したのか(つまり、安永年間に出たものとか、渡辺温によるものとか)を明示していないのがたいへん残念なのだが、とりあえずここで『康煕字典』を見てみよう。
私の持っている『康煕字典』は頂き物で、明治三十八年の縮刷版である(吉川弘文館刊、いわゆる「洋装本」)。字音が掲出字(の左右)にカナで勝手に附されているのだが、「亰」字には字音が附されていない(「京」には、「ケイ」「キヤウ」とある)。また、『正字通』が「原」を「亰」の俗字と看なしていることに言及しているが、その按語に「『正韻』十十(ママ。「一」カ)先(韻目の名―引用者)ニ原邍ヲ收メ亦タ亰ヲ闕ク。『正字通』強増ニ以テ亰ヲ即チ原字ト爲ス。京亰古ク通假スルヲ知ラズ。必ズシモ別レテ枝節ヲ生ゼズ」(訓読は引用者による)とある。つまり、「京」「亰」が互いの「通假」字となる例(即ち同字と看做してよい例)を知らないので、もともと同一字だったものが分れて別字になったとは限らない、と見ている様なのである。
江守賢治『解説 字体辞典【普及版】』(三省堂)の pp.205-08 にも「京」「亰」の話が出て来て、『康煕字典』(正確には『正字通』)が「亰」を「原」の俗字と看做している(これは江守氏の誤読で、「原」を「亰」の俗字と看做しているのではないか)ことを「少しひどすぎるように思う」(p.206)と書いている。江守氏によると、伝統的楷書体では常に「京」を「亰」に作っていたという。
トニー滝谷 プレミアム・エディション [DVD]
夜、市川準トニー滝谷』(2005,ウィルコ)を観た。某君が頻りにすすめていた作品。
『禮記』の確か禮運篇に、「孤」は幼にして父母のなき者、「独」は老いて子のなき者というようなことが書いてあるが、トニー滝谷はそういう意味においてまさに「孤独」で、それをイッセー尾形が演じているということがまったく自然であるように思えた(ただ、学生時代のトニーには代役を立てるべきであったと思うが)。
原作は、村上春樹の同名小説(ロングバージョン*3)で、村上春樹レキシントンの幽霊』(文春文庫,1999)に収められている。偶々我が家にあったのでパラパラと見てみたが、映画版とはずいぶん印象を異にしている。それは、エピソードの順番を入れ替えているからだろうし、「後日譚」が描かれているからでもあるだろうが、何よりも、「これといって特徴のない顔をした二十代半ばの女」(p.135)を宮沢りえが演じていることが一番の要因なのだろう。
西島秀俊の、ともすれば棒読みになってしまいそうな淡々としたナレーションと、坂本龍一の音楽が耳に残る。ゆったりとした、流れるような右方向のパンが美しい。

*1:その先生が仰っていたのは、たしか、「明治十年」を逆から読んで、「年じゅうおさまるめい(まい)」というパタンのものだったと思う。が、こちらはその後見かけたことがない。

*2:kuzanさんは、「東京=トウキョウ」「東亰=トウケイ」という「棲み分けはこの本に始まるものであろう」と書いておられる。

*3:「ショートバージョン」というのもあり、こちらは『文藝春秋』(1990.6)に収められたという。