ふたたび『酒字集古』

東大生はどんな本を読んできたか 本郷・駒場の読書生活130年 (平凡社新書) [ 永嶺重敏 ]
永嶺重敏『東大生はどんな本を読んできたか――本郷・駒場の読書生活130年』(平凡社新書)よむ。新書という制限のため、「詳細に言及できない部分が多かった」(p.274)のはやむを得ないことであろうが、それでも得るところの多い本だった。
たとえば、東京学生消費組合による左翼的出版物の「流通の組織化」(pp.127-28)だとか、『世界』『思想』等の雑誌と共に「岩波文化」の中心的役割をになっていたのは、単行本よりむしろ「岩波新書」であった(p.197)とか、「新潮社」の躍進(p.205)とか、昭和三十年代から昭和四十年代にかけて東大生の読書傾向が「学術傾向」から「文藝路線」へと大きく変わった(p.212)とか(終戦直後は一般大衆の読書傾向とさほど変わらなかったようである。p.180など*1)、その他いろいろ。以前から言われて来たことではあっても、データを見せられて、成程と感じたこともあった。もちろん、かねたくさんが「新・読前読後」に、「しかしこの流れは、東大生という対象に限定しなくとも、一般的な『大学生の読書』の大波のなかに呑み込まれかねない」と書いておられたように、読書傾向の大まかな変遷は、「東大生」というよりはむしろ「大学生」全般にあてはまるものなのかもしれない。それ故にこそ、学生書房の話題とか「プリント」をめぐる攻防戦とか、そうした東大生ならではのエピソードも楽しく読んだのであった。
◆同書によると、終戦直後、「東大生の約半数は勉学のかたわら街頭販売や靴磨き、家庭教師等のアルバイトによって生計費を捻出していた」(p.159)、「生活難のためアルバイトに追われていた学生たちは図書館に通う余裕のない者がほとんどで」あった(p.231)、という。
この記述から、そういえば、と思い出した文章がある。天野貞祐編『大學生活』(光文社1949)所収、眞下信一「アルバイトの意義」である。そこにこんなくだりがある。

聞くところによれば、ある學校の場合、學生間のこのごろの挨拶は、ちようど大阪商人のそれが、「もうかりますか」であるように、「バイトはないか」という言葉だそうである。(略)今日、働いている學生諸君(名古屋大学の学生か―引用者)に會つて話をしているとき、これらの人々がほとんど異口同音に私にもらす感想は、仕事と時間と精力を消耗せられて思うように勉強が出來ない、本が讀めないという嘆きである。じつさい、午前中の聽講をすませて午後早々、保險會社に出かけてカード整理のアルバイトに精を出し、歸りはその足で週に三日は食事付の家庭繁師の仕事の方へまわり、下宿か寮へもどつてくるのが夜の十時というような忙しい生活で、いつたい、どうして落ちついて本を讀んでいる餘裕が、時間的にも精神的にも肉體的にもあり得るであろう。(略)こう見てくると、今日の混亂したアブノーマルな學生生活は、いつかは元のノーマルな學生生活へもどるべき一時の異状、逸脱、頽落の形態と考えられるべきものではなくて、かえつて、新しい形態の學生生活への轉型、移行、過渡形態――そしてあらゆる變革の時期は必然的な幾多の犧牲と無駄に、それもまた、とりつかれている過渡形態――とみなさるべきものなのである。(pp.90-105)

結論部あたりで学園の民主化がどうこう、と述べているくだりや、西洋(というかドイツ)コンプレックスにやや古さを感じるが、いま読んでも全く古びていない部分があるのには驚かされる。というか、恐るべき先見の明に満ちている気がする(ただ繰り返しが多く、ちょっとくどい)。これを、同書所収の丸山眞男「勉學についての二、三の助言」と読みくらべてみるとまことに面白い。また林健太郎「銀杏並木の感慨」に、(左派にいわせれば)「タカ派転向後」の反省の辯のようなものが述べられているのも興味ふかい。ともかくこの本、バラエティに富んでいてなかなか楽しいのだ。
◆昨日ふれた『酒字集古』だが、惣郷正明『日本語開化物語』(朝日選書1988)には以下のようにある。

灘・西宮酒造社長、参議院議員・伊藤保平は、喜寿を祝って『酒字集古』を昭和三三年に著した。能筆家の中村梧竹、幸田露伴中村不折が協力して、甲骨文をはじめ中国・朝鮮・日本の名筆から「酒」の字、七百余を集めたものである。
各時代毎に、筆意、筆法の特徴を摑み、似た字体は避けて、書体が正しく、字格の高いものを選んだ。
(中略)
『酒字集古』は伊藤が八十賀を迎えた昭和三七年、八〇一字に増補再版して、贈った取引先の好評に応えた。このような非売の自家版が、下戸の私に初版、再版とも手に入るのも、古書店のルートから得られる楽しみである。(pp.191-92)

おやおや、である。収録字数がまったく違うではないか。しかも、増補再版が出ていたとは。
惣郷氏はこの本を入手されたようだから、上引のほうが収録字数を誤っているということはあるまい。

*1:何らかの訴求力や共同体無しには、自然と学生の「読むべき本の選択は想像以上に困難なもの」になる(p.271)、ということか?