春秋一刀流・鶴八鶴次郎

■三月某日。丸根賛太郎『春秋一刀流』(1939、日活京都)を観た。丸根の監督&脚本デビュー作(助監督はのちに大映京都の名匠となる安田公義だ!)。
 丸根作品は、これまで特に意識して観てきたわけではない。九年前に初めて観た丸根作品『狐の呉れた赤ん坊』でさえ、むしろ“阪妻映画”として観たのであり、またその直後に観た『月の出の決闘』も、やはり阪妻作品の回顧上映でたまたま目にとまっただけである。さらに数年後、何かのきっかけで『天狗飛脚』を観たのだが、これとても、スタッフロールを見た時点で初めて丸根作品と認識した次第。
 しかし今回の『春秋一刀流』は、丸根のデビュー作と知りながら観たのである。正直にいうと、例の平手造酒が主役だというので、類型的な作品のひとつにちがいないと、あまり期待せずに観たのだが、しかしこれはたいへんな傑作だ、とおもった。山中貞雄亡き後に、ちょうど入れ替わる形で登場した丸根賛太郎が、「山中の再来」といわれた理由もわかるような気がした。
 冒頭からして鮮烈だ。抜けるような青空(モノクロだから想像するほかないのだが)、そこに字幕が入る。「このいゝお天氣に――」「建師(たてし)ヶ原に 雨が降る」「血の雨が降る!」。
左からカメラがドリーでフォロー、侍の軍勢だ。さらに右からも別の軍勢。同じくドリーでのフォローがインサートされ、こんどはカメラがぐっと寄って、片岡千恵蔵(平手造酒)、原健作(只木厳流)をアップで横から順に捉える(ここもドリー撮影)。音楽がそれを盛り上げる。そら大立ち回りが来るぞ……とおもわせておいて、 場面は転換し、刀を地面に突っ立てて高みの見物を決めこんでいる片岡・原の両人が映し出される。彼らは同じ道場の出身者で、出入りの用心棒に雇われて、五年ぶりにばったり行きあったのだ。その後、長閑な会話がつづく。俺もお前もどうせ雇われの身、刀一振りたったの一両と一両二分。もっと羽振りのよさそうな飯岡の助五郎親分(市川小文治)とやらのもとで、お互いに割のいい仕事をしようじゃないか。そんな割り切った考え。
 道中で二人は、多聞重兵衛(志村喬)を仲間に引き入れて、ここで“三匹の侍”が揃う。三人は、宿で出会った多駄平(田村邦男)を無理やり酒宴につきあわせる。酒の勢いも手伝って、多駄平は饒舌になる。評判のよくない助五郎たあ悪い料簡だ、わが繁蔵親分(澤村國太郎)のもとで働かないか。ここに至るまでのちぐはぐで暢気なやり取りがおかしい。
 前半は明るいが、後半になるにつれて悲壮感が増してゆく。この展開は、たとえばずっと後年の『斬る』をおもわせる。さらに、静寂が支配するようになる。はらはらと舞い散る木の葉。繁蔵屋敷の軒端を斜め上から見下ろすシーンが何度も出て来る。木魚の音が響くが、トーキーとはおもえないほど、静かな場面である。
 そしてクライマックス直前。轟夕起子(お勢以)が、江戸へ行きましょうとしきりにすすめるのを断って、「何か得体の知れない力に、磐石のようにのしかかられて、身動きさえできぬ気持ち。……運命、そういうものをひしひしと感じる」と、まるで梶井基次郎のような達観した台詞を呟く千恵蔵の横顔はぞくぞくするほど美しい。山中の『人情紙風船』が時代の閉塞感を描いたとすれば、この映画の後半部だってそうだ。
 さらにラストで、病をおして千恵蔵が山道を駈けぬけるシークェンスは、『血煙高田馬場』の阪妻にまさるとも劣らないし(このパノラマ的な撮影、主観ショットにはっとする)、千恵蔵の鬼気迫る大見得は忘れ難い。ばったばったと雑魚をなぎ倒してゆく千恵蔵と、助五郎を庇って次から次に横あいから登場する手下たち。ここでカットが交互に挿入される、そのカットバックもなかなか乙なもの。冒頭で流れたのと同じ楽曲が、さらにテンポを速めて鳴り響く。大仰すぎるほど大仰に。さもここが見せ場だとでも言わんばかりに。
 終幕は、平手造酒の書いていた日誌で喧嘩の結末が描かれる、というメタ的な展開。ここでも感心する。

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 その後、このほど加筆のうえ文庫化された、太田和彦『シネマ大吟醸』(小学館文庫)がこの作品について書いている*1ことを知った。

シネマ大吟醸 (小学館文庫)
平手を「無頼なのに意外と筆まめ」として、その小遣い日記で話を進めるしゃれた話術。武家社会からのドロップアウト組ながらニヒルにせず、気ままな呑気者として互いにバカを言い合っている自由な開放感。こんなにいい連中の小さな夢が次第に崩れてゆく予感とそのたまらない淋しさの情感描写。前半のリラックスした愉悦感と後半のペシミスティックな味わいの構成の妙。終幕、キャメラに向って憤怒の形相すさまじく、これでもかこれでもかと斬りつける千恵蔵のアップ。監督第一作でこのスタイリッシュな演出の冴えは伊丹万作山中貞雄に十分匹敵する傑作だ。(p.139)

太田氏の文章にいちいち頷く。『銀座三四郎(銀座の猛者)』や『放浪三昧』など、録画しておきながらいまだに観ていない作品についての評もある。映画鑑賞の際の座右の一冊となりそうだ。
その他、映画鑑賞記録。
■一月某日。成瀬巳喜男『鶴八鶴次郎』再鑑賞。三年ぶりであろうか。嗜好というものはたった数年間で変わるものだと気づく。自分自身そうとは気づかないうちに。私はかつて(四年くらい前)、自分なりの成瀬作品ベスト10を選出してみたことあるが、『鶴八鶴次郎』はその時点ではまだ観ていなかった*2。観たあとも、15位あたりが至当かとおもっていた。しかし今回の鑑賞で、ベスト10どころか、もしかすると1930年代*3の成瀬映画のベスト1かもしれない、とおもい直している(以前は『妻よ薔薇のやうに』を1930年代のベスト1としていた)。原作(川口松太郎)で、「色の黒い無口の男」「あまり美男子でなかった」と描かれる鶴次郎は、長谷川一夫(まだ左頬の傷跡も生々しい)が演じており、この点からしても原作と映画は別の作品なのだな、とおもわせるのだけれど、脚本は原作にかなり忠実に組み立てられている。ただし冒頭における鶴次郎の、二代目鶴八(山田五十鈴)に対してのセリフ「こんなところにホクロがあるんだね」は、原作には無いものだが、鶴八・鶴次郎コンビの心的・肉体的距離が見事に集約されている(ファンからは「夫婦だろう」「いや兄妹だろう」などと噂されている)。これぞ脚本の妙だ。ラスト、流しの三味線の音色に聞きほれる番頭佐平(藤原釜足)と鶴次郎。原作では、三味線の音は聞こえてこないし、「新内はいけねえ、あいつは俺は大嫌えだ、お前も嫌えだったな。」「見るのもいやだ。」と精いっぱいの強がりを言うのだけれども、脚色された映画のほうも良い。(補:太田和彦氏は「映画はあっさりと終わる」『シネマ大吟醸』p.31と書いているが、「あっさり」どころか、余韻嫋嫋のラストで、鶴次郎のことばが、いつまでもいつまでも心に残る。)
■一月某日。川島雄三『特急にっぽん』(日専)を観る。獅子文六の原作「七時間半」では、“はと”が舞台なのだが、映画の舞台は特急“こだま”(映画化された頃には東京―大阪間の所要時間がすでに六時間半に短縮されていた)になっている。川島は自著で、原作の随筆的な部分を活かしたかったがそれがいいわけになるような出来になってしまった、という趣旨のことを述べていたが、なかなかどうして、傑作である。とりわけ素晴らしいのは、車輛の長さを利用した、スリ犯(実は乾分格)逮捕のシーン、そしてフランキー堺、団令子が仲直りをするラスト。台詞をいっさい挿入せずに、人物の横の動きと音楽のみで盛り上げてくれる。
■二月某日。某館スクリーンで相米慎二『お引越し』。テレビでは、地上波とCSで二度観た。『台風クラブ』、『翔んだカップル』の印象的なシークェンスを反復しながら、ラストで少女(田畑智子)の「自我の目覚め」(こう言ってしまうと野暮だが)へと至る。私は、「エヴァンゲリオン」は、先輩にヴィデオをお借りして一回とおして見ただけなのだが、あのアニメのラストは、絶対に『お引越し』を意識しているはずだ。エヴァのマニアはとっくに気づいていることなのかもしれないが、どこでどのような形で言及されているのかはもちろん知らない。昨年末、ひこ・田中の原作(新装版)が文庫で出て、これは買ってあるのだが(解説が斎藤美奈子だったような…)、いいかげんに読まないと。
■三月某日、木村荘十二『都会の怪異7時03分』(衛劇)。原作が牧逸馬の絶筆「七時〇三分」(Horn が書いた “The old man” を翻案したものとか)であること*4と、千葉早智子が出ているというので、観てみた。主人公の心中思惟をオーバーラップで見せるというのは、当時はかなり珍しかったのではなかろうか。
■おまけ…「酒」の字体

提灯に描かれた「酒」の異体字(『鶴八鶴次郎』より)。
「『酒』という字は、看板では異体字で書かれる割合がたいへん高いことがわかってきた」(笹原宏之「日常の文字生活の中の異体字」『現代日本異体字[漢字環境学序説]』三省堂所収p.124)。これは「伝統的な筆写体の一つによる異体字であ」る(笹原宏之『日本の漢字』岩波新書p.132)が、画像の「酒」はあまり見ない形なので挙げておく。

*1:『天狗飛脚』や『狐の呉れた〜』についての記事もあり。もともと『ブルータス』に連載されていたとか。

*2:ついでに言っておくと、その後にKanetakuさんのすすめもあって観た『稲妻』は、間違いなくベスト10に入る。

*3:成瀬作品にはふたつのヤマがあって、1930年代・1950年代をそれと見るのがふつうだろう。作風にもおおきな変化があるので、本当は、そう簡単に比較のできないところではあるけれども。もちろん1930年代の作品にも、撮影技法にばかり拘泥した凡作がある。その点からすると、1950年代の成瀬映画はおしなべて良作ぞろいで、駄作が少ないようにおもえる。それで、1950年代をひとつの到達点とする見方が定着したのかもしれない。なお、1960年代の作品群(『女が階段を上る時』『妻として女として』『乱れる』など)はまた別格だと考える(戦前・戦後、もしくは昭和××年代という分け方をしないのは、成瀬の円熟期がそれとは重ならないから。戦後、たとえば1940年代にも、「戦後民主主義」に便乗した(させられた)だけのつまらない作品がある)。

*4:吉行淳之介が「あしたの夕刊」で、この作品についての疑点を書いている。