よう言わん

 頂きものの中村明編『作家の文体』(筑摩書房1977)をパラパラやっていると、こんな記述が。

――さっきの会話の抽象化という方向から行けば、方言を使うことでその土地の雰囲気を出すということは避けられるわけでしょうか*1。会話に「あわれやな」というのが出てきたり、地の文にもたまに「よう……しない」というのが現れたりするようですが。(中村明―引用者)
「よう……しない」のほうは関西弁が出たんでしょう。直さなきゃいけないですね、全集の時に直したかもしれませんが。(庄野潤三―引用者)(pp.126-27)

 「よう…しない」というのは、

「え申さず」など云ふ場合は、後世まで ye であつたと見えて、今日の「よう言はない」の「よう」を發達させてゐる。(小林好日「五十音圖に於ける『エ』の音價」『國語學の諸問題』岩波書店1941所収,p.34)

などといわれるように、「え…ず」を起原とする説が一般的であるが、「能く…す」の否定形という異説もどこかで聞いたことがある。この「よう…しない」が、かつてはあまり方言として意識されなかった(気づきにくいものだった)のではないか、とおもったのは、たとえば次の訳文が気になっていたから。

ひどく臆病だから、別荘に入ることも扉をたたくこともようしなかった。(ルソー『告白・上』岩波文庫p.70)

 訳者は桑原武夫。福井出身、京都育ち。

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 ところで、ルソーの『告白』はかなり面白い本だった。百目鬼恭三郎の「手引き」がなければ、きっと敬遠して読まなかっただろう。

本人は事実を語っているつもりでも、客観的には事実でない場合もある。ルソーの自伝『告白』(桑原武夫訳・全三冊・岩波文庫)などはその典型である。この自伝は、一個の文学作品として読む分にはたいへん面白い。ジュネーヴの時計師の息子として生まれ、十六歳のとき放浪の旅に出る。改宗事業家の美しい未亡人に庇護され、貴族の従僕になったり、ロクに音楽を知らないのに音楽教師になりすまして失敗したあげく、音楽家になる決心をしてパリに出るまでの第一部は、『ジル・ブラース物語』などのピカレスク(悪漢遍歴小説)と、『クレーヴの奥方』などのモラリスム(恋愛観照小説)の面白さを兼ねているといってもよろしかろう。
百目鬼恭三郎『読書人 読むべし』新潮社1984,p.203)

 この記述のもとになった文章が、百目鬼恭三郎『風の文庫談義』(文藝春秋1991)に収めてある(p.56)*2。これは次のように結ばれる。

 どこまでが事実で、どこまでがルソーの被害妄想なのか。読みながら絶えずこの不安につきまとわれるというのも、一種格別の面白さであるに違いない。
 『告白』のこうした面白さをだれかが紹介してくれていたなら、私だってもっと早く読んだろうに。残念でならない。(p.57)

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 『文藝春秋』四月号に、高島俊男「あぁ、漢字検定のアホらしさ」(pp.212-21)。いちいち、ごもっともで。『漢字と日本人』(文春新書)で言及されていたことが、さらに具体的に書かれている。「字やことばの持つ雰囲気、気分、使いどころ」(p.221)というのは確かにある。でも、受検者はそういう人*3ばかりじゃないですよ、とちょっと辯護したくなるところもある。

*1:

記号の霙 井伏鱒二から小沼丹まで (WASEDA bungaku Classic)

記号の霙 井伏鱒二から小沼丹まで (WASEDA bungaku Classic)

平岡篤頼『記号の霙―井伏鱒二から小沼丹まで』早稲田文学会2008の冒頭に、井伏の文体について論じた「物語の氾濫」が収めてある。そこで平岡氏は、井伏が会話文を「止むを得ぬ例外を除いて、すべて標準語で書く」、それどころか「文章体そのままのいくぶん時代がかった言葉で綴」っていることに言及し、このように一見すると反リアリズムともおもえるような描写がなぜ「人工的リアリズム」(「役割語」も含まれるだろう)よりもかえってリアルに見えるか、ということを論じていて、これは面白かった。

*2:初出は1982〜1984年頃の『週刊文春』。

*3:コケオドシで漢字を多用したり、漢検で「文章を書く能力が育つ」とおもいこんだりしている人。「無用の知識」であることは承知の上で受けている人もかなりいる。