いま神戸の兵庫県立美術館で、「水木しげる妖怪図鑑」がやっている。松屋銀座で開催中の「ゲゲゲ展」*1に展示されている妖怪画(磯女、一目連、海月の火の玉、児啼き爺、すねこすり、セコ、遺念火、細手、夜行さん等々)とあわせると、かなりの数の妖怪画が一度に公開されることになる。いずれも、水木しげるの画業六十年・米寿を記念してのものである。
書籍の方面でも記念出版があいついでおり、『ゲゲゲ家族の肖像』など『ゲゲゲの女房』関連書籍はもちろんのこと(先月号の「文藝春秋」には、水木一家―水木夫婦、次女悦子さん―の鼎談が掲載されている)、昨年末には『屁のような人生』という大冊が出たし、最近では、「pen」五月一日号、「フェーマス」七月号(未見)、「Prints21」2010年秋号、「芸術新潮」8月号などの特集号に加えて、戦記漫画が続々と復刊、文庫化されている*2。詳しくは、「げげげ通信」参照のこと。
というわけで(?)、このブログでも、妖怪について書いた雑文をアップしておきます。
一年以上まえに書いたものですが、手をくわえて掲載します。
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わたしは、妖怪図鑑とか、妖怪名鑑とかいったものが大好きで、物心がつくかつかないかという時分から、日がな一日、飽きもせず妖怪や悪魔の本ばかり眺めていた。佐藤有文、中岡俊哉(浪曲師・桃中軒雲右衛門の孫)、竹内義和、石原豪人、柳柊二、聖咲奇……などといった人物は、ジャガーバックスやコロタン文庫(ビッグコロタン含む)などの妖怪図鑑によって知ることころとなった。とりわけ、水木しげるの妖怪画から受けた影響は多大なものであった。目が悪くなるから読むな、と根拠のない理由で漫画を禁じていた両親も、どういうわけか、「悪魔くん」や「鬼太郎」の漫画を読むことは許してくれた。名古屋に住んでいたころには、たしか犬山方面だったとおもうが、水木しげるのサイン会が開催されたことがあって、まぢかで御大の姿を見た。1986年ころの話である。
このような妖怪図鑑が一斉に姿を消したのは、これははっきりとわかっていて、1995年のことである。言うまでもなく、オウム事件が関与している。楽しみにしていた心霊特番などの*3テレビ番組も、どんどん姿を消していった*4(最近は少しだけ復活しつつある)。
これが決しておもいすごしではないことには、『伝染る「怖い話」』(宝島社文庫)の文庫版解説で小池壮彦氏が、「言わずと知れたオウム事件の後遺症が、心霊市場にしばらくの間、お通夜のムードをもたらしていた」(p.412)と書いているとおりで、それは「心霊」市場のみならず、「妖怪」市場にも甚大なダメージを与えたのである。
そうそう、おもい出した。さほど前ではないが(数年前)、少年犯罪が起ったときのこと。あるテレビ局が、「資料映像」として、容疑者少年が読んでいたという本を紹介していた。そのいちばん目立つところに、わたし自身も買って読んだことのある『血をすう死体―世界の妖怪ばなし集』(ポプラ社文庫)が、これ見よがしに置かれていた。あたかも、この本を読んだことが犯罪の引き金となった、と言わんばかりの悪意のある編集方法で、やりきれなさを感じたのだった。わたしにとっては、ラスコーリニコフのアリョーナ、リザヴェータ殺しの描写などのほうが、よっぽど真に迫っていたし、残酷に感じられたのだけれど、そういう文学作品は、けっして槍玉にあげられることはないのである。
つい話が逸れてしまった。閑話休題。
さて、水木しげるである。水木しげるの描く妖怪を、全てオリジナルだとおもっている人がいるけれど、実はそういうわけでもない。鳥山石燕、竹原春泉、佐脇嵩之の描く妖怪を摸写したようなものも多数含まれているし、「がしゃどくろ」のように(その名が初めて見えるのは1968年刊の『世界のモンスター』*5であるといわれる)、佐藤有文が歌川国芳の絵を採用したのをさらにリライトした、という特殊な例もある。
ただ、日本の妖怪には、このように典拠を求めることが出来るものも多いのだけれども、海外の妖怪となると、佐藤有文が考案した(とおぼしき)妖怪*6をそのまま踏襲したものや、種姓のよくわからない妖怪もたくさんある。
たとえば、水木しげる『妖怪世界編入門』(小学館)で紹介されている「レプラコーン*7(Leprechaun)」という妖怪(正確には妖精)。アイルランドの伝承に残っている靴職人の妖精で、わりとよく知られている。都市伝説の「小さいおじさん」に結びつける人もあって、緑の服を着て髯をはやした老人の姿で描かれることもある。
しかし、水木氏の描くレプラコーンは、灰色の角ばった体に目玉と口がついただけの姿。これが、一体何を典拠としているのかわからない。あるいは水木氏のオリジナルなのかもしれない。
そして、これとは別に、水木しげる『カラー版 妖精画談』(岩波新書)に「レプラホーン」という精霊が載っている。これはオリジナルのレプラコーンに近い姿で描かれていて、「その名は『片方靴』の意のレイヴローガンから派生したものだろうと考えられている」(p.78)、と書いてある。なお、こちらには、
この「レプラコーン」「レプラホーン」等のように、水木しげるの絵によって、種が分裂してしまった妖怪(わたしは「分岐型」と呼んでいる)は、他にもある。
日本の妖怪では、「のっぽらぼう」「ぬっぺっぽう」がそれに該当しよう。
後者の「ぬっぺっぽう」は、水木氏の作品では、「ぬっぺらぼう」という名前で「少年マガジン」に登場する(1968年初出)。「のっぺらぼう」もこれとは別にちゃんと登場する。そして「ぬっぺらぼう」の方は、水木氏の妖怪図鑑では、「ぬっぺほふ」「ぬっぺっぽう」「ぬっぺふほふ」といった名称で収録されている。「ほふ」「ぽう」の相違は、かな遣いの問題に由来するので無視するとして*8、これら二つの妖怪は、もとをただせば一つのものであったと考えられる。
「ぬっぺっぽう」は、呼称としては喜多村筠庭の『嬉遊笑覧』巻三「化物絵」にはじめて見えるらしい(未確認)が、その姿が描かれたものとして確認できる最古のものが、いまのところ、佐脇嵩之の『百怪図巻』である(現在、「水木しげる妖怪図鑑」に展示されている)。そこでは、ぶよぶよとした肉塊に目鼻とおぼしきものや手足のついた姿で描かれている(嵩之自身、狩野元信の絵を摸写したと書いているが、その元信の絵はいまだに発見されていない)。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』もこれを踏襲しているようで、ほとんど同じ姿で描かれている。
これに対して「のっぺらぼう」は、よく知られるとおり、外観は人間のようだが、目鼻も口もない姿で描かれる。ハーンの『怪談』などでは、狐狸狢の化けたものという解釈がなされており、『閲微草堂筆記』第百十六話が説くのはその古い例のひとつであろう。これは水木氏の妖怪図鑑では、「ずんべら坊」という名で登場するので、ちょっとややこしい。
千葉幹夫の『全国妖怪事典』(小学館)は、『新説百物語』の「ヌッペリホウ」、『曾呂利物語』の「ノッペラボウ」を紹介しているが、いずれも人間の姿形をした妖怪である。しかし、「ぬっぺっぽう」が「ぬっぺりほう」ないし「のっぺらぼう」と何らかの関係にあることは明らかだ。多田克己『百鬼解読』(講談社)には、「ノッペラボウのほうが新しい妖怪で、ぬっぺっぽうのほうがより古い姿(スタイル)であった」(p.122)という見解が示されているし、佐藤友之編『妖怪学入門―東西お化け大カタログ〔改定版〕』(英知出版)も、このふたつの妖怪は同種異型の関係にあると記述している(p.56)。なお、多田氏は、「ぬっぺっぽう」というふうに「ぼう(坊)」ではなく「ぽう」となることについて、前の促音が関与していると書いているが、松井栄一『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」―現代日本語の意外な事実』(小学館)によると、明治期は「のっぺらぼう」ではなく「のっぺらぽう」のほうが優勢だったそうだから、単なる音声環境の問題ではないのだろう。
いずれにせよ、「ぬっぺっぽう」と「のっぺらぽう」とは、その呼称からしても、同源のものであろうとおもわれる。しかし、佐脇嵩之(狩野元信?)が「ぬっぺっぽう」を肉塊の形で描いたことで、イメージの分岐が生じ、水木氏が「ずんべら坊」とこれとを区別して描いたことによって、両者はますます違った種として認識されるようになったのだろう。
以上のものはしかし、いちおう図鑑めいたものに載っている妖怪である。水木しげるの描く妖怪のなかには、図鑑にさえ載らないものも存在する。つまり、「ゲゲゲの鬼太郎」等の漫画作品にオリジナルとして登場する妖怪もいるのである。
そのような妖怪のひとつに、「チンポ」というのがいる。これは、『鬼太郎くんの仲間たち 妖怪「対比」図鑑』(やのまん)によると、初出は「妖怪七人の侍」(『少年アクション』1976.3.8)だそうである。どんな妖怪かというと、「三つの男性性器をもつ南方の妖怪である。三つの性器から猛烈な勢いで小便を出し、ホバークラフトのように空を飛ぶことができ、さらに屁をすることで推進力が増すようだ」(村上健司・佐々木卓『ゲゲゲの鬼太郎謎全史』JTB,p.138)というので、まあ、変な妖怪なのである。さらに、「名前から推測するに、これは水木しげる御大のオリジナルキャラクターだと思われるが…」とあるように、同じ南方妖怪のアカマタ*9なども含めて、漫画オリジナルの妖怪だと考えられる。
この妖怪は、テレビシリーズの『ゲゲゲの鬼太郎』にも登場する。『ゲゲゲの鬼太郎』はこれまでに、第一期(1960年代)、第二期(70年代)、第三期(80年代)、第四期(90年代)、第五期(2000年代)の五シリーズが放送されていて、「チンポ」は第三期から登場する。ただ、第三・第四期ともに、劇場版のみの登場にとどまっている。第五期では、レギュラー出演を果してはいるものの、放送コードを意識したのか、「ポ」という名に改称されている。改称するくらいなら、わざわざ登場させなくてもよいのではないかという気もするのだが。
『アニメ版ゲゲゲの鬼太郎妖怪事典』(講談社)は、全五シリーズの登場妖怪(および『墓場鬼太郎』『悪魔くん』に登場する妖怪や悪魔)を紹介した本だが、第一〜第四期と、第五期とが別のコーナーに振分けられているために*10、「チンポ」と「ポ」とが同じ妖怪であるということが意識されにくい。もうすこし編集面で工夫してもらいたかったが、それは隴を得て蜀を望むの類であろうか。
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(おまけ)
「ずんべら坊(のっぺらぼう)」。水木しげるの絵を摸写。中学生ころに描いたものだが、まだ残っていた。絵心がないわりに、これはうまく描けたほうだとおもう。
*2:『敗走記』、『白い旗』、『姑娘』。いずれも講談社文庫。
*3:よく間違えられるのだけれど、わたしは霊を信じているわけではない。もっとも、そのようなゾッとする体験を全くしなかったというのでもないが(仲間うちでは「先代の霊」と呼んでいて、証人もいる)、それは一種の「不可思議現象」として、あれこれ解釈することをせずにいる。というか、したくはない。そのほうが、ロマンもあって面白いではないですか。それは思考停止だと言われたらそれまでだけれど、でも、「科学的」に無理やり解釈しようとするのも、「心霊現象」として解釈しようとするのも、なんだかつまらないのです。
*4:ポプラ社の「少年探偵シリーズ」の27巻以降、つまり乱歩が大人向けに書いた小説――大体殺人が起る――を他の作家たち(氷川瓏など)がリライトした作品群も、この時期を境に絶版となった。これも、その大きな流れのなかで消えていったに違いない。
*5:「世界怪奇スリラー全集」の一冊。旧版は函入だが、新版として装釘が変わった際にカバーのみとなった。これは泣く泣く捨て(させられ)た本の一冊で、いまでも買い戻せずにいる。
*6:佐藤の「創作妖怪」でよく知られているものに、「ポルトガルの食人鬼ゴール(本によってはグール)」がある。これは、佐藤の手がけた『いちばんくわしい世界妖怪図鑑』や『妖怪大全科』、『妖怪大図鑑』に載っているもので、そこに引用されている写真が、なんと、フランシスコ・デ・ゴヤの『わが子を食らうサトゥルヌス』(ローマ神話にもとづいている。なおギリシャ神話には、天空神ウラノスがわが子を食ったという似たような伝承がある)なのである! このゴヤの絵は、黒沢清『地獄の警備員』(1992,ディレクターズ・カンパニー)で効果的に使われていたことを、最近になっておもい出した。全体としては、黒沢監督らしからぬ、雑な作品なのだけれど。
*7:別のページでは「レプレカーン」となっている。
*8:「ぬっぺふほふ」という名称は、四字めの「川」の崩しを「ふ」と誤認したものなのではないかと考えられる。『〔図説〕日本妖怪大全』(講談社)にはこの名で収録されている。
*9:この名称にはちゃんと典拠がある。原田実『もののけの正体―怪談はこうして生まれた』(新潮新書)pp.172-76など参照。ただし、そのキャラクターは、水木氏のオリジナルと考えられる。
*10:第五期の放送前に、『アニメ版ゲゲゲの鬼太郎完全読本』(講談社)というのが出ており、この本の「妖怪の章」に第四期までの登場妖怪が載っている。これを簡略化したものが『ゲゲゲの鬼太郎妖怪事典』だから、このような形になっているのだろう。