三浦哲郎が亡くなった。享年七十九。『忍ぶ川』は、熊井啓監督の映画を観てから、三浦氏の原作を読んだ。だから、作中人物の声が、栗原小巻の、あるいは加藤剛の声とだぶって聞こえ、そのイメージからついに逃れられなくなってしまったのだが、それは映画が原作に忠実に作られていたということなのかも知れない。しかもこの映画を観たことで、「にわかコマキスト」になったのだから世話はない。
原作の『忍ぶ川』は、ちょうど今から十年前、「新潮文庫20世紀の100冊」に選ばれて、読んだのはその直後のことである。実は、『忍ぶ川』というのは連作小説の一篇で、その後もこの物語はつづく。だが、主人公たちが結ばれたあと、どんどん現実的な展開になってゆく。そこにやや幻滅を感じたのだが、それほど作中人物に感情移入できたのも、ちょっと気恥ずかしいことだが、ジュリアン・ソレル以来のことだった。ちょうどそのころ、『拳銃と十五の短編』も単行本で読んだ。
『夜の哀しみ』という作品も、二分冊で新潮文庫に入っていた。平淑恵主演の映画は、十年くらい前に公開されたのではなかったか。原作を読もうとしたがすでに品切れで、たまたま古本屋で見かけたものはちょっと高かったので、買わずにしまって、結局読んでいない。
随筆は好みにあい、折にふれて読み返している。三浦氏には、自選の文庫版随筆集がすくなくとも二冊ある。『随筆集 春の夜航』『随筆集 下駄の音』(ともに講談社文庫)というのがそれで、亡くなった人へのおもいを綴った作品が多く収められている。
「七色の弁当」「なまんだうち抄」「おふくろ」「秘伝」「ワダイレバンテン」は母親のこと、「春の夜航」は姉のこと、「ひとり通夜」は上林暁のこと、「夜ふけの言葉」「下駄の音」は師匠・井伏鱒二のこと、「惜別」は色川武大のこと、「開高健の手」は開高健のこと、「メグレの悲しみ」はジョルジュ・シムノンのこと、といった具合に。とりわけ、亡き家族に対して(愛玩動物に対するものさえある)哀惜の念を述べたものが多い。
その三浦氏の追悼文は、誰が書くことになるのだろうか*1。
最後に、「文庫版のための〈あとがき〉」(『随筆集 春の夜航』)からすこし引用しておこう。
もしも好きな作家の随筆集が文庫になったら、出かけるときはいつもポケットに一冊入れて出ようと私は思っていた。一人旅の電車の窓辺で、秋の日ざしを浴びている公園のベンチで、病院の待合室で、何度も切実にそう思ったものだ。
だから、いま、自分の随筆集の文庫版が出ることが、とても嬉しい。たとえ一握りでも、この文庫をポケットに入れて豊かな気持になってくれる読者がきっといると思いたい。(p.286)
*1:読売新聞には、秋山駿氏のコメントが寄せられている。