一昔まえの日本語ブーム

 私のスクラップ・ブックはたいそう貧弱で、切り抜いた記事をしかるべきところに挟みこんで、それで満足している(貼りつけてすらいない)。
 そんな貧弱なものとはいえ、十年前の記事などを読み返していると、実におもしろい。

    • -

 平成十二年年頭は、小渕首相(当時)の私的諮問機関「二十一世紀日本の構想」懇談会、というのが話題となっていたころで、気になる記事をかたっぱしから切りぬいていた。とりわけ気になっていたのが、「英語第二公用語化論」である。母語の日本語さえ公用語に制定されていないではないか、という真っ当な主張がかき消されるほど、このフレーズは衝撃をもって迎えられ、なぜかメディアは異様なほど切迫していた。しかし、この一連の騒動は、現在ではかの「2000年問題」のように忘れ去られてしまった。
 今になって振り返ると、その衝撃は、前年の船橋洋一発言(「日本は英語を公用語に」)に端を発していたようだ。これを取りあげたのが、たとえば「週刊新潮」(1999.6.17)。さらに、その発言に対抗するように、井尻千男「世間漫録」は、同誌上で「『英語公用語』でいいのか」と問うている(2000.2.10)。同じころ、いまは亡き井上ひさしは、「にほん語観察ノート」(『読売新聞』連載。後に単行本が出た)で、「『もっと英語を』ブームを警戒」(2000.2.6付)という記事を書いた。
 その反動というべきか、「日本語の乱れ」も、新聞紙上などでやたらとかまびすしく議論されていた*1。1999年末(11.29付〜12.3付)には、『日本経済新聞』が「揺れるニホンゴ」を特集しているし(全四回)、『朝日新聞(夕刊)』(12.3付)は「鼻濁音が消える?―アナウンサーも発音できない」を特集していた。年明けの2000年には、『読売新聞』が「気になる乱れ 日本語能力高めたい」*2という全国輿論調査(文化庁による国語調査に連動していたのかもしれない)を実施している(1.10付)。
 それから約三年後、2002年の11月半ばに『朝日新聞(夕刊)』が、三回にわたって「なんだったの? 21世紀初の日本語ブーム」という記事を特集している。しかし、数年前のような切迫した状況はすでに一段落して、行間からは過去を冷静に振り返る余裕が感じられる。これらの記事は、ブームの根本にあるのは「不況」や「社会の変化」なのだろう、などと書いているが、20世紀最後ないし21世紀最初の「日本語ブーム」には、「グローバル・スタンダード」という標語や、世紀末的な切迫感に急かされた、ということも大いに与っていたのではないか。

    • -

 いわゆる「日本語ブーム」が戦後何度かあった、ということについては、見坊豪紀『辞書と日本語』(玉川選書,1977)所収「日本語ブームの回顧と展望」(pp.181-92)に詳しい。

    • -

 『国語改革を批判する』を皮切りとして、旧中央公論社の『日本語の世界』シリーズ(のいくつか)が文庫化されはじめたのも、1999年(10月)のことであった。この年のはじめには、あの大野晋『日本語練習帳』が刊行されている。

*1:そういえば、清水義範氏の小説集『日本語の乱れ』が刊行されたのも2000年のことである。

*2:読売は、同年11月にも、「21世紀をどう踏み出すか」という特集で、「言葉の乱れ」を取上げている(11日付)。