得たりや応!

 「得たり応」「得たりや応」という表記が定着した、というかよく見られるようになったのは、一体いつ頃からだろうか。この表記について指摘している人はどれくらいあるだろうか。
 これは辞書の見出し語とは乖離がある表記で、国語辞書は軒並み「得たりおう」ないし「得たりやおう」として立項し、「おう」は「感動詞」「かけ声」である、などと説明しているはずだ。「得たり応!」と書くと、なんだか、「応」の部分が「受けて立つぞ!」という返答のように見えてしまう。
 こないだ*1、菅原通濟『なでぎり隨筆』(高風館,1955)を読んでいると、「菅、得たりやOHと眉間を切ったんだから、二人がかりだが、それでもたいしたものだ」(pp.140-41)というくだりがあって、なるほどこちらのほうが本来の語感に近いのだろうな、とおもったことであった。

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 「山鯨(やまくじら)」といっても、現在の「鯨肉」の供給状況に鑑みると、もはや死語なのかもしれない。私自身、実際には使ったことがなく、本などから仕入れた智識だから、同世代にはご存じでない方も多いとおもう。『日本国語大辞典【第二版】』(小学館)の語釈を見てみると、「猪(いのしし)の肉。また、一般に獣肉の異称。獣肉を食べるのを忌んで、いいかえたもの」、とある。つまりは隠語である。用例としては、西澤一鳳『皇都午睡』など江戸後期のものが挙がっている。
 この語は、楳垣実編『隠語辞典』(東京堂出版,1956。1969年18版)にもちゃんと立項されているが、方言扱いとなっている。しかも、昭和期の隠語とみなしている。
 また、興膳宏『漢語日暦』(岩波新書,2010)の本日(11月14日)の項は「山鯨」であるが(p.180)、タイトルの振りがなは、「さんげい」となっている。これは本来漢語ではないのだから、ちょっとおかしいのだが*2、それはともかく、当該項にも、「江戸時代には『山鯨(やまくじら)』の隠語で呼ばれ、それをあきなう店は牡丹や紅葉の絵の看板を掲げた」、とある。それにしても、このような習慣はいつまで続いたのか。あるいは、今でもどこかに残存しているのか。
 少なくとも昭和初年度には、この習慣が残っていたようである。

 けれども諸君。これから追々寒くなると、牛肉屋の店先きに季節的なビラが掲げられるではないか。山くぢら相始め候。眞黒な字でさう書いてある。字だけは淋しいから、紅と緑の繪具で、繪が描いてある。その繪を注意して見給へ。必ず牡丹である*3
獅子文六『牡丹亭雜記』白水社1940刊,p.12)

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 新宿にて岩田豊雄編『日本現代戯曲集』(新潮文庫,全五巻)を揃定価1,000円で見つけたので、嬉々としてこれを買ってきた。はじめはパッキングされていて中身を見られなかったので、帰宅後あらためて確認してみたところが、旧版と新版とが交じっていることに気づいた。これで全部揃ったとおもっていただけに、少しショックであった。
 そもそも、この文庫に旧版・新版の相違があることを実は知らなかったので、既に持っていた『戯曲集1』『戯曲集2』(淡路で購入)、『戯曲集4』(キタで購入)を慌てて確認したところ、(1)のみ新版(新編)、(2)(4)は旧版だった。
 旧版と新版との違いはどこにあるかというと、中身はもちろん違っているのだが、それは後に述べるとして、まず外見がどう異なっているかということから書いておくと、一瞥しただけではわかりにくいが、よく見ると題字が“岩田豐雄編『日本戲曲集』”か“岩田豊雄編『日本戯曲集』”かというふうに、旧字か新字か、というので違いがある。そして背には、巻数(正確にはローマ数字)が丸括弧で囲まれているかいないか、という違いがある(囲まれているのが新版、そうでないのが旧版)。
 しかしこれだけでは、初期の刷りか後刷りか、あるいは単なる旧版か改版かという違いにすぎない、と誤認してしまうおそれがある。げんに私も、表記の違いはさほど気にしていなかった。ただし帯がついているものは、そこに「(新編)」と明記されているのでわかりやすいが、ついていない場合は、扉を見るまでは、中身に違いがあるということが初見ではわからない。
 さて、今回の購入で、当該選集の所有状況は、「第1巻…旧版・新版、第2巻…2冊とも旧版、第3巻…新版、第4巻…2冊とも旧版、第5巻…旧版」というなんとも中途半端なものとなり、結局、旧版を揃えるために「第3巻」を再び探す羽目となってしまった(特にコレが欲しかったのだから)。
 ところで、旧版と新版とは中身が違っている、とさきに述べた。すなわち、採られている作品自体が違うのである。
 旧版の場合、どの巻に何が入っているかということは分りやすい。というのは、各巻末に全巻の収録作品名を紹介した頁があるからで、ついでに以下それを示しておくと、

第一巻……岸田國士「牛山ホテル」、久保田万太郎「大寺学校」、岩田豐雄「東は東」
第二巻……眞船豐「見知らぬ人」、川口一郎「島」、久板榮二郎「北東の風」
第三巻……田中千禾夫女猿」、飯澤匡「北京の幽靈」、阪中正夫「馬」、内村直也「白鳥の歌
第四巻……森本薫「華々しき一族」、小山祐士「薔薇一族」、田口竹男「祇王村」
第五巻……加藤道夫「エピソード」、三島由紀夫「邯鄲」、福田恆存「堅壘奪取」、田村秋子「姫君」、木下順二「彦市ばなし」

となっている。いずれの巻も昭和二十六(1951)年に刊行されている。
 一方新版はどうかというと、こちらは昭和三十八〜九年の間に刊行されたようである。しかし、各巻の収録作品については、それを示した目録がどこにもないので、現物を入手して確認するほかない。今のところ、わかっているのは、

第一巻……岩田豊雄「東は東」久保田万太郎「釣堀にて」、岸田國士「沢氏の二人娘」、真船豊「鉈(なた)」、田中千禾夫「千鳥」
第三巻……飯澤匡「崑崙山の人々」、福田恆存「堅壘奪取」木下順二「夕鶴」、三島由紀夫卒塔婆小町」、安部公房「制服」、矢代靜一「繪姿女房」

の二巻のみ。重複するのは「東は東」「堅壘奪取」の二作品だけで、作家が重複していても、ほとんどの場合、収録作品が違っているのであった。
 というわけで、今度は、「新編」があらたな探書候補として浮上してきた。旧版だけ知っておればよかったものを、新版の存在を知ってしまったばかりに、こうなってしまった。まったくコレクター(?)泣かせである。

*1:といっても、このメモ自体数箇月前のものである。

*2:本文の振りがなは「やまくじら」である。

*3:書名「牡丹亭雑記」の由来を記したまえがきに当る部分であるが、「遂にお他聞に洩れず」(p.11)という表現もあって面白い。「ご多分」ではなく、「お他聞」なのである。