藤原宰太郎・遊子の「父娘合作」

 藤原宰太郎*1氏(1932-2019)は、ミステリの面白さを教えてくれた点において恩人のひとりだといえる。
 巷では、藤原氏の著作群が古典的名作トリックのひどい「ネタばらし」の宝庫になっていたというので、「罪」の部分がクロースアップされることもしばしばだ。確かにその通りなのだが、それはひとり藤原氏の責任に帰せられないわけで、かつての(わたしが小中学生だった時分の)子供向け漫画や、子供向けの手引き類*2はおおむねそんな状況だった。わたし自身、漫画やクイズ本であらかじめ犯人やトリックを承知したうえで原作にあたる場合も多かった。もっとも、最近では、作品の根幹にはあえて触れずにすませたり、「この後の記述にはネタバレが含まれます」などとあらかじめ注意を促してくれたりする解説書類も増えている、というか、それこそが「常識」「お作法」になっているが。
 ともかく、わたしにとって藤原氏の著作群は、「功」の部分がむしろ大きかったわけで、ネットも何もなかった時代に、世界には他にどんな探偵がいるのかとか、次に何を読むべきなのかとかいった、いわば名作ミステリの指南書の役割を果たしてくれた。
 わたしが当時よく読んだ藤原氏の本は、『探偵ゲーム―怪盗Xより七つの挑戦状』(KKベストセラーズワニ文庫1989*3)、『真夜中のミステリー読本―古今東西、名&珍作ガイド』(KKベストセラーズワニ文庫1990)、『あなたの頭脳に挑戦する 世界の名探偵50人―推理と知能のトリック・パズル』(KKベストセラーズワニ文庫1984*4)、『知的興奮をもう一度…… 続・世界の名探偵50人―推理と知能のトリック・パズル』(KKベストセラーズワニ文庫1994 *5)、『推理狂 謎の事件簿―奇想天外のトリックを楽しむ』(青春BEST文庫1990)、『日本縦断ミステリー紀行 名探偵に挑戦(第三集)―あなたの故郷で事件が起こる!』(KKベストセラーズワニ文庫1991)、『殺人ファイル 犯人は誰だ!?―奇想天外! 殺人トリックにあなたも挑戦!!』(にちぶん文庫1994)。
 わけても『世界の名探偵50人(正・続)』『真夜中のミステリー読本』の三冊は、何べんも繰り返し読んだし、いまでも時々披く。『世界の名探偵50人(正・続)』などは、掲載されているデータこそ古いかもしれないが、たとえば創元推理文庫エドワード・D・ホック木村二郎訳『怪盗ニック全仕事』が全六巻で出たり(2014―19年)、作品社からバロネス・オルツィ『隅の老人』やジャック・フットレル『思考機械』(全二巻)が平山雄一訳で完全版として出たり(2014年・2019年)、春陽堂書店から横溝正史の『人形佐七捕物帳*6が完本として全十巻で出たり(刊行中。既刊1巻)しているといった現状に鑑みるならば、名作ミステリのガイド役たる鮮度をなお保っているとさえおもう*7。この二冊での「ネタバレ」を避けたいのであれば、クイズやコラムを読み飛ばして、探偵のプロフィルだけ読めばよい。
 さて昨年末のこと。『真夜中のミステリー読本』が、「改訂新版」として装いも新たにふたたび世に出た。藤原宰太郎・藤原遊子『[改訂新版]真夜中のミステリー読本』(論創社)がそれである。共著者・藤原遊子氏は宰太郎氏の長女。宰太郎氏は2000年代初頭に、「遊子」名義で小説を書いていたこともある。「あとがき」で遊子氏が、

 実際の父も、用事のない限りほとんど書斎から出ることなく、一日中トリックのことを考えているような人でしたから、世事や流行にはとても疎く、小説の中の事件現場は自分の故郷(広島県尾道市―引用者)や母校であったり、登場人物の女子大生は性格も趣味も娘の私そのままのプロフィールであったり、娘と同じ名前の女性を殺してみたり、と自分の身近なネタばかりを小説に使うので、家族にとってはかなり迷惑でしたが、今となってはいい思い出です。(p.184)

と書いているのが微笑ましい。また遊子氏は、改訂新版の編集方針について、「二一世紀のIT社会にも通用するミステリーの案内書(ガイド)を作りたいという父の遺志を引き継ぎ、娘の私が加筆や訂正、および項目の削除を行い、『真夜中のミステリー読本』を生まれ変わらせました」(pp.182-82)、と書いている。
 そのような元版との異同については、アマゾンの書評子が、削除された項目を中心にして実に丁寧な比較検討を行っているので、ここでわたしがあれこれ述べる必要はないだろう。そちらで書評子は、「削除の基準は(略)多くは『今日的観点』と思う」と書いており、「今日的観点」の具体的な項目として、「人権意識」「ネタばらし、トリックばらし」等を挙げている。わたしもざっと読み較べてみて、確かにその通りだろうとおもった。元版p.51の「外人」が改訂新版p.30で「外国人」となっていることや、プロローグの「読むためにも知りたい推理小説これだけのルール」(改訂新版では「読むためにも知っておきたい推理小説のルール」)で、ある海外作品の犯人がいきなり明かされてしまうのがぼやかされていることなども、多分この類であろう。さらに書評子が、改訂新版の「大変良い工夫」として、「可能な限り、トリックの原典の作品の名前を注の方に移し」たことを挙げているのにも同感であった*8
 ただ、意味が通じにくいとはまったく思えない文章にもあちこち手を加えているのであり、その理由はよくわからない。
 宰太郎氏は晩年には脳梗塞を患い、ミステリの世界からは離れ、厖大な蔵書も全て手放してしまったとのことだが、「〈インタビュー〉推理小説と歩んだ半世紀」(『藤原宰太郎探偵小説選』論創ミステリ叢書2018、pp.394-416)を遺してくれたのは、一ファンとしてたいへん嬉しい。インタビューでは、旧河出書房の倒産後に『探偵ゲーム』が「KK河出ベストセラーズ」から出た経緯や(KK河出ベストセラーズ社長の岩瀬順三〔1986年歿〕と宰太郎氏とは、同じ中学の出身だという)、子供向け推理クイズを学年雑誌に執筆するようになったきっかけなどについても語っている。ちなみに、この談話でインタビュアーが言及している『真夜中のミステリー読本』の記述(p.414)や、『藤原宰太郎探偵小説選』の解題(呉明夫)で紹介された『真夜中のミステリー読本』所収の「久我京介のミステリー談義」(同p.423)は、いずれも改訂新版では削除されている。

改訂新版 真夜中のミステリー読本

改訂新版 真夜中のミステリー読本

藤原宰太郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書 113)

藤原宰太郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書 113)

*1:本名「宰(おさむ)」。

*2:とりわけ印象に残っているのは「てのり文庫」で出た幾冊かの本。ふと学研の『世界の名探偵ひみつ事典』というのも思い出したが、こちらは藤原氏の監修。

*3:元版は1968年刊のKKベストセラーズ

*4:元版は1972年刊のKKベストセラーズ。手許にあるのは「1994年7月1日十四版」。「名探偵は死なず―まえがき」の末尾に「一九八四年」とあるにも拘わらず、その冒頭が「推理小説の始祖E・A・ポーが一八四一年に名探偵デュパンを創造してから、約百三十年間、それこそ無数の探偵が世に出ました」(p.3)と、おそらく元版の形のままになっているのが可笑しい。

*5:これには元版がなさそうで、オリジナル文庫として出たものと思われる(ここに挙げたもののうち、『探偵ゲーム』『世界の名探偵50人』の二冊以外は、みな文庫版がオリジナルの形であったようである。ここで「思われる」「ようである」などと言うのは、いずれも巻末などに書誌が全く示されておらず、詳細がわからないためだ。なお『続・世界の名探偵50人』の「プロ&アマ探偵、ゾクゾク登場!―まえがき」末尾に、「二十年後といわずに、十年以内には、早くも三冊目の『世界の名探偵50人』シリーズを書くことになりそうです。/そのときは、またよろしく」(p.5)とあるが、それが果されなかったのは残念である。

*6:BSフジでは、林与一版「人形佐七捕物帳」(1971年、全26話)が放送中だ。わたしは第十話まで見ている。特におもしろかったのは、宝田明が将軍家斉に扮した「第五話 折れた扇子」(監督は第一話に引き続き田中徳三!)、佐々木功ささきいさお)出演回で二転三転する展開が見ものの「第六話 雷の宿」、鳳八千代・岩崎智江・西山恵子、三者三様の女性たちの物語とでもいうべき「第十話 怪談・変幻地蔵」。

*7:怪盗ニック・ヴェルヴェットは続篇pp.125-30、隅の老人は正篇pp.41-46、思考機械バン・ドゥーゼンは正篇pp.48-52、人形佐七は正篇pp.77-80にそれぞれ登場。

*8:さきに述べたプロローグ中の「ある海外作品」には、注さえ附けられていない。やや大げさにいうと、ミステリの歴史にも関わる問題なので、たとえ注の形であっても作品名を記すことにためらいがあったのだろうか。