尾形亀之助/松田甚次郎

 「詩」と云えば、どちらかというと漢詩を思い泛べてしまう様な身であるから、散文詩に対してはあまり昵みがなかったのだけれど、最近、わたしの読書の師匠のひとりKさん(詩人でもある)が、近代から現代にかけての詩人とその作品とをたくさん教えてくださるので有難いことである。
 たとえば、深尾贇之丞*1の「私の自叙傳」だったり、萩原恭次郎の『死刑宣告』だったり、左川ちかの全詩集のことだったり。
 このところ、Kさんにすすめられるがまま平田詩織『歌う人』を読むなどしていたのだが、そういう風に「詩歌づいて」いなければ、あるいは、尾形亀之助『美しい街』(夏葉社)を購ってまで読むことはしなかったかも知れない。「夏葉社の本」、と云うことで、手に取って見ることくらいはしていたのだろうけれども……。
 物思いに沈んで輾転反側していた或る深更、この『美しい街』に収められた「いつまでも寝ずにいると朝になる」「眼が見えない」「夜がさみしい」「夜」等といったごくごく短い詩になにげなく目を通していると、何故だかいたく心を動かされた。
 尾形の詩を読むのは初めてのことだったが、その名前は、宮澤賢治に関係する人物、ということで記憶に留めていた。
 堀尾青史『年譜 宮澤賢治伝』(中公文庫1991)にその略歴が掲げられているので、次に引用して置こう。

 尾形(亀之助)は宮城県柴田郡大河原町生まれ、生家は東北屈指の豪農だったので、家から金を出させたのである。小児喘息のため生涯苦しんだ。未来派の画家として出発したが、一方詩を書き、やがて画は廃した。一九二五年十一月第一詩集『色ガラスの街』を出した。この出版記念会で草野心平としりあい『銅鑼』の同人となり賢治の『注文の多い料理店』を草野からすすめられた。それが『月曜』*2に「オツベルと象*3の発表される因縁である*4
 尾形は一九三二年仙台にうつった実家へ帰り市役所の吏員となって、一九四二年十二月二日になくなった。『歴程』の一九三九年四月号に「宮澤賢治第六十回生誕祝賀会」という風変わりな随筆をのこしている。(pp.184-85)

 「風変わり」といえば、『美しい街』に収められた散文「泉ちゃんと猟坊へ」もまた随分風変わりだが、巻末エセー「明るい部屋にて」で能町みね子氏は、それを「私の生涯を左右する文章」と書き、そこに「私はたいへんな希望を見」た(p.168)、と述べている。
 『美しい街』は、あわせて収められた松本竣介の画も含めて、不思議な魅力をもった、じつに佇まいの美しい本である。

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 『年譜 宮澤賢治伝』には様々な人物が登場するが、なかで印象に残る者として、たとえば松田甚次郎が挙げられる。
 一九二七(昭和二)年、賢治三十一歳の三月八日の條に、松田は初めて登場する。

三月八日 盛岡高農農業別科生松田甚次郎が来訪。松田も岩手日報*5によって協会の活動を知ったのである。十一時半賢治と会い教えを聞く。日記に「今日の喜ビヲ吾の幸福トスル宮澤君の誠心を吾人ハ心カラ取入ルノヲ得タ(中略)現代の農村生活ヲ活カスノダ」云々と平かな片かな交りのメモがある。この時松田は野菜スープとにぎりめしをごちそうになり、「小作人たれ。農村劇をやれ」といわれた。松田は郷里山形県鳥越村に帰り、それを実行した。(p.260)

 同書は触れていないが、松田は後年、『宮澤賢治名作選』を編むことになる。
 少年時代にこの書物で賢治作品に親しんだことを記憶している人も少なからずあるようだ。
 その一人が、大岡信である。

 ぼくはいま、超現実主義とか原言語とかいう語を書きしるしながら、ふと宮沢賢治をおもい、その思いに誘われて、羽田書店版、松田甚次郎編の『宮沢賢治名作選』をとりだしてしばらくこれに読みふけったのだった。この名作選は、幼い日のぼくを宮沢賢治の世界に導き入れてくれた懐かしい本なのだ。賢治を読もうと思うと、ぼくの手は、他の版にのびず、まずこの選集にのびる。「銀河鉄道の夜」などを落としているこの版は、必ずしも遺漏ない選集とはいえなかろうが、にもかかわらず、宮沢賢治の世界、とりわけ童話の世界へのぼくのかかわりにとっては、この楽譜や写真の挿入された分厚い選集こそ、最も私的な、濃い思い出にみちた橋懸りでありつづけている。こういう経験は、他の多くの本についても多かれ少なかれあるといえばいえるのだが、とくに賢治に関してそれが強いというのは、ぼくには面白いことに思われる。本に対する一種の神秘主義というものが、そこにいやおうなしに生じてくるのである。
大岡信『肉眼の思想―現代芸術の意味』中公文庫1979:138←中央公論社1969)

 山田俊雄も、またその一人なのであった。

 この二、三年の間、手許に置いておかうと思つてゐた古本がやつと手にはひつた。(略)
 さかのぼると、昭和十四年の昔のことになる。その本を、私は自分の小遣ひで買つて愛讀した記憶がある。旧制高等學校の一年の夏だつたか。(略)
 たまたまある日、ある古本屋のカタログの中にその本のタイトルを見出したのである。
 見出して、すぐ私の感じたことは、意外にも、随分永い間探求してゐたやうな感じを覺えたことで、やつとめぐり遭へるかなといふやうな懐しさともどかしさがあつた。
 注文すると、幸ひに他人の手には渡つて居らず、私の書架に加へることになつた。しかし、その本は信州あたりとおぼしい中學校の圖書部の蔵書印の捺してある汚れたものだつた。その本の名は『宮澤賢治名作選』(松田甚次郎編、昭和十四年三月第一刷發行、羽田書店)である。
 奥附には、版権所有者の示す印として、丸の中に宮澤といふ二字を草書に刻んだ朱印が捺してあり、その傍に「印章は著者の自刻遺愛のもの」としてある。著作権者の檢印の、日本の制度は、福澤諭吉に始つたものだといふが、昭和十四年頃も勿論旺(さか)んに行はれてゐたのである。羽田書店の創立經営は、たしか代議士羽田孜君の父上武嗣郎氏だつたかと思ふ。(山田俊雄「永く忘れてゐた書物との再會」*6『忘れかけてゐた言葉』三省堂2003:211-13)

 私が、夏葉社版の選集によって尾形の作品に初めて触れて感動したことも、なるほど、「一種の神秘主義」に繋がる体験であったのにちがいない。
 尾形の詩は、本の質感やその手触りなどとともに深く印象されたわけで、後年また尾形の詩を読みたいとふと思ったとき、「この夏葉社版でなければならない」と、きっと考えることになるはずだ。

美しい街

美しい街

年譜 宮沢賢治伝 (中公文庫)

年譜 宮沢賢治伝 (中公文庫)

忘れかけてゐた言葉

忘れかけてゐた言葉

*1:名の訓みは、「うたのじょう」「ひろのすけ」「ひろのじょう」など諸説ある。「丞」は「亟」+「灬」が正確な表記だとの旨を示したサイトもあり、だとすると、「烝」と書くのが理にかなう様にも思うが、ここは一般的な表記に従う。

*2:尾形の「自費出版・編集」になる「随筆雑誌」。

*3:このタイトルの「読み方」については、「オツベルと象」(http://d.hatena.ne.jp/higonosuke/20070722)という記事で書いたことがあった。

*4:これが一九二六年、賢治三十歳の年の元日のことで、二月には同誌(第二号)に「ざしき童子のはなし」、三月(第三号)に「猫の事務所」を発表する(堀尾著p.185)。

*5:同年二月一日付夕刊三面。賢治が、花巻の青年三十数人と「農村文化の創造に努力し、都市文化に対抗する一大復興運動を起こ」そうとしている(堀尾著p.259)、という趣旨の記事。

*6:初出は「花信風」(平成七年八月)。