誤植

「徳川『無』声」という誤植の例は枚挙に遑がないという話。

徳川夢声と出会った
夢声の名前は風化する一方で、ぼくにはどうにもこうにも止められない。NHKのスタッフが、将軍様と勘違いしたことは笑い話にもなる。悲しいのは、徳川無声という誤植だ。世田谷文学館の機関誌が無声になっていたし、文春新書でも無声の記述を見つけた。復刊された『話術』(白揚社)の解説にまで無声の誤植があったし、産経新聞でさえ徳川無声で罷り通っていた。実例を挙げるとキリがない。(中略)
まがりなりにも、映画説明に、漫談に、ラジオの物語放送に、声の世界で一世を風靡した名人が無声では悲しすぎる。夢声がこれを知れば、ムセイのなれの果てとして、皮肉っぽく笑うだけかもしれない。(茺田研吾『徳川夢声と出会った』晶文社,p.27)

「無声」という誤植は、昔もあったという話*1夢声の反応はさすがです。

週刊朝日』に『問答有用』が連載されていたころ、毎号対談の相手の署名をカットで入れることになっていたが、あるとき、何かのつごうで夢声独演会になった。編集者はいつもカットを入れる場所に「徳川夢声」と四倍ゴジで入れておいたのだが、組み上がってみると、活字が目立ち過ぎるので倍数を一倍落したものだ。校正者にしてみれば、いつもカットで入っているところだけに大して気にかけていない。しかも活字の倍数が変ったことは全然気がついていなかった。そういうばあい編集者はむろん試刷を念を入れて見るのだが、運の悪いときは仕方のないもので、たれも気がつかずに五、六万部刷ってから、一人が「徳川無声」となっているのを発見した。輪転機を止めて象嵌するやら、刷り上がったものを捨てて新しく刷り直したり大騒ぎだった。
後で扇谷(正造―引用者)編集長が事の顛末を夢声さんに話しているのを聞いていると、夢声老さっぱりしたもので「ははア、私も声が無くなりましたかな、商売がえせんといけませんな」
加藤康司『校正おそるべし』(有紀書房,p.223)

*1:しかし現在の編集者なら、あるいは気づかないままなのかもしれません。