誠心堂書店店主ニ入門ス

今日は午前中から大学。
和本入門 千年生きる書物の世界
橋口侯之介『和本入門―千年生きる書物の世界』(平凡社)を読む。まだ半分くらいしか読んでおらず、「内題外題論争」に入ったばかりなのだが、楽しくてタメになる本だ。装訂*1の種類、魁星印のこと、判型の話など。「じつは遊郭というのは貸本屋の上得意だったらしい(長友千代治『近世貸本屋の研究』昭和五十七年、東京堂出版)」(p.84)といった記述まで気になる。川島雄三幕末太陽傳』(1957,日活)に登場する金造(小沢昭一)が、遊郭に出入りする貸本屋だったことを思い出した。
ところで、参考文献に挙げてある、中野三敏先生の『江戸の板本―書誌学談義』(岩波書店)。そろそろ、岩波現代文庫あたりに収めて欲しいのだが…。

現代ではいろいろな複製本が出ているが、たとえ精巧にできたレプリカといえども、どうしても冷たさが残ってしまう。確かに内容は同じだから研究や学習の材料としてはいいが、本そのものから出てくるほんのりとした感じはまったくない。たとえば、葛飾北斎の画風が好きな人はぜひオリジナルを直接手にとって見るべきである。和紙ににじんだ木版の精緻さのなかに、北斎らしい迫力が見えてくるはずである。江戸時代の絵の具の色は現代と違うので、微妙な色遣いも実物で確かめられる。いくら技術が高くなったとはいえ、現代のオフセット印刷ではその興趣が十分には出ないのである。
同時に和本は軽い。それでいて華奢ではない。やわそうにみえて強いのである。だから落としても大丈夫。楮を原料とした紙は腰が強いので折れてももとに戻る復元力がある。少々乱暴に扱っても壊れないのである。これが「扱いやすい」ということでもある。江戸時代二百六十年間に発行された本の大半が、ずっと袋綴じの装訂で楮を原料とした和紙に木版刷りという形態であったのは、けっして進歩がなかったのではなく、これが「作りやすい」ことと相まって、完成されたひとつの姿だったからである。(p.94-95)

近頃、読んでおきたい「本の本」や「書肆の本」が増えつつある。
そのうちの一冊が、櫻井毅『出版の意気地―櫻井均と櫻井書店の昭和』(西田書店)である。書籍部に二冊あったのだが、どうしようかと迷っているうちに店頭から消えてしまった。しかし、この間の『日本の古本屋メールマガジン(32号)』の「自著を語る」でこの本が取上げられて、櫻井氏の「本作りは、もともと個人的な仕事であり、著者や編集者、出版者など個人の個性と個性がぶつかり合う個性的な共同作業なのである」という一文に惹かれ(というか「憑かれ」)、無性に読みたくなってきた。さらに、南陀楼綾繁さんの櫻井書店の軌跡を見る、特に「古書会館に出かけ、2階で「櫻井均と櫻井書店の昭和」展を見る。櫻井書店の刊行物、装幀原画、書簡などが展示されている。点数は少ないが、一通り見ると、この版元の出す本の趣味のよさが伝わってくる」という一文に、ますます読書欲を掻き立てられたのだった。

*1:「ソウテイ」のこの表記は、長澤規矩也に従っているようだ。