ドレミハ男の血は騒ぐ

論語 (中公文庫)
アルバイトがあるし、寒いしで、大学へは行かず。
フトしたきっかけから、貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)を披いてみた。
この本は、例えば「學而篇第一」で、「時習之」の「時」を助字と解釈したり、「自遠方來」を「遠きより方(なら)び來る」と訓じたりする*1など、独特な訳本として知られている。
私がはじめて『論語』にふれたのは、この貝塚版によってであったが、それが良かったのか悪かったのか、今もってよく分らない。しかし、この「新解釈」「試論」が、「必也正名乎(必ずや名を正さんか)」(子路篇第十三)という孔子のことばを念頭に置いたうえでなされたものであることだけは信じたい。
昼、矢倉茂雄『ドレミハ大学生』(1938,東宝)を観た。ミュージカル的な四十九分の小品。
藤原釜足&岸井明という絶妙のコンビネーション。当時は、滝沢英輔東海道は日本晴』(1937。ちなみに脚本は山中貞雄)や渡辺邦男『青春角力日記』(1938)など(後者は未見)、二人の主演する作品が幾つか作られていたようである。
彼らの心をかき乱すのが、江戸川蘭子*2と神田千鶴子。しかし、めいめいが純情だったり、鈍感だったり、思わせぶりだったりして、彼らは結局すれ違ってしまう。両想いではなくて、片想いが作品の骨格となっている。その点が珍しいといえるのかも知れない。
またこの映画では、何度も大学の時計台を映す。その時刻が、決まって昼の十二時か午後一時なのだ。だから、学生たちの昼飯を食うシーンがしぜんと多くなるわけだけれど、岸井明とコロッケ定食の取り合わせには思わず笑ってしまう。彼がなぜ、例えば「支那そば」(六杯以上平らげた者は無料)ではなくいつも「コロッケ定食」を食っているのか、その理由もおのずと分る。
彼の「歌声」を利用した演出はたいへん見事で、感心した。この作品が最も盛り上がる場面である。
美術担当は、成瀬映画でもお馴染みの中古智。万年床(?)の下宿生活を再現してみせる手並はやはりお見事だ。書店やレコード店のセットも観て楽しい。
なお余談にわたるが、冒頭のスタッフロールで、「P.C.L管絃樂團」の「團」をクニ構えに「ダン」と作っている。そんな略字表記は初めて見た。この手の略字では、「機」を「木+キ」としたり、「慶應」を「广+K、广+O」としたりする(これは専ら大学名で使われる。薀蓄本などに、その表記の「都市伝説的」な由来がしばしば書かれている)のが有名である。
「正式の証明」で、大晦日山田風太郎特番が再放送されることを知る。ありがたや。「終戦60年を振り返る・ドキュメンタリー選」の枠内でやるのかな。
そういえば、これまた大晦日に、「ウィークエンダー」が復活するらしい。「すどうかずみ」、といえば分る人には分るそうだが、私の記憶にはない。まあ、どうでもいいことだが。

*1:著者解説によれば、後者の読みは武内義雄の説にもとづいたものであるという。吉川幸次郎などから手厳しく批判されたらしい。

*2:彼女が「嘘は罪」を歌うシーンは、後年の『夜ごとの美女』にやや似ている。