深代惇郎の日記

坪内祐三『考える人』(新潮社)の「深代惇郎」の章に、こうある。「深代惇郎と、それ以後の『天声人語』の違いは、端的に言って、教養の違いです。ただ教養があるかないかということではなく、より具体的に述べれば、教養のふところの深さの違いです」(p.126)。その「教養のふところの深さ」がどのようにして形成されたのか、一端だけでも知りたく思い、『深代惇郎 青春日記』(朝日新聞社)を通して読むことにする。神戸の古本屋で拾ったもので(105円)、これまでは拾い読みしかしていなかったのだが、『考える人』を読んでから、本棚の目立つところに置き直しておいたのだった。
日記を書くことの意義と苦悩についても書かれてあって興味ふかいし、孤高の悲しみまでもが行間から伝わって来る。「見栄っ張りでポーズ屋」という自身の性格を無理に改めようとはせず、何かに活かそう、役立てようとしつつも、かといって完全な「俗」にも身を置くことができないという苦悩。なんだか『トニオ・クレエゲル』みたいだ。また、「全学連闘士N君」に宛てた文章では、「中立の立場」の厳しさについて語っている。
さらに、深代が自分の文章能力について述べたくだりには、「ところどころ、シャープな見方、独創的な考え方があるのだと自分では自惚れているのだが、それが続かない。又、長い、原稿用紙に百枚位になると、構成に無理や飛躍が出て来る。従って説得性に乏しくなる」(p.31)とある。これが深代の真情を吐露したものであったとすれば、まさに彼は、『天声人語』に「所を得た」わけであろう。
『青春日記』といえば、中公文庫にもそういう書名のものがあった。大宅壮一の日記である(執筆時は、たしか深代よりもずっと年少だったのではないか)。私はまだ上巻しか持っていない。下巻も揃えてから読もうと思っているのだが、これがなかなか見つからない(上巻は六十円で入手したのに…)。
悶絶!!どんでん返し [DVD]
さて、数日前、神代辰巳『悶絶!! どんでん返し』(1977,日活)を観た(きっかけは、id:tougyouさんのブログ)。素晴らしい作品だ。「時の時」をジャンプ・カットで軽やかに処理し、ロード・ムーヴィ仕立てでこれを人生行路に擬え、鶴岡修のオカマとしての覚醒を右折のシークェンスでさりげなく暗示しているのがたいへん面白い。劇中で、シニカルな音楽がいかにももったいぶった感じで延々と鳴り続けるのがおかしく(「あんたがたどこさ」や、ショパンの「葬送行進曲」―YMOの曲にもそういうのが確かあった―)、『青春の蹉跌』の「大漁節」をふと思い出した。倦怠感たっぷり、ショーケンの消え入るような「えんやーとっとーえんやーとっとーまつしまァァのぉぉ〜サァヨォォ」のリフレイン。これも石川達三の気にいらなかったのだろうか。
どうも私は、にっかつロマンポルノをナメ過ぎていたようだ。神代の作品は、『棒の哀しみ』『青春の蹉跌』『もどり川』……ときわめて無難な作品を選んで観てきたのだが、二年前だったか、『赫い髪の女』『四畳半襖の裏張り』など観て、考えをあらためた。いずれ『嗚呼! おんなたち 猥歌』も観ておかなければなるまい。