「『ちょいと』お待ちよ車屋さん」

セピア色の言葉辞典 (文春文庫)
「ちょいと、これをごらんよ」と言ったら、知人が笑いだした。「ちょいと」が、おかしいと笑う。
「しかし、間違った遣い方ではないはずだが?」「間違ってはいないが、普通は、ちょっと、だろう。ちょいと、は古風だよ」
指摘されて気がついたが、これは私の口癖である。東京下町の、言葉遣いである。私が住んでいた頃は、皆、こう言っていたが、現在は遣わないのだろうか。古風だと言われると、肩身が狭い。
小津安二郎の映画を見ると、たとえば杉村春子や、若い淡島千景岡田茉莉子が、盛んに遣っている。下町も山の手も関係なかったようだ。少くとも昭和三十年代までは、「ちょいと」全盛であったようである。泉鏡花は東京に出てきたころ、娘たちが「ちょいと」と言うのを聞いて、江戸を感じた、という。
「どちらかというと、品のない言い方じゃないかな」知人が笑う。「たとえば赤線の女性が、ちょいとお兄さん、寄ってらっしゃいよ。そんなふうに用いていたよ」
赤線を知らぬ私には、何とも言えぬ。しかし小津の映画は、大体が当時の中流階級を描いていた。知人の見方は一方的すぎないか。
調べてみた。『よしわら』という本がある。大河内昌子編、昭和二十九年に日本出版協同株式会社より出版された。吉原で働く女性たちの手記集である。店先で客を呼ぶセリフが、随処に出てくる。
「いらつして、いらしつて、ねえ、ちよつといらしつてよ」「ねえ、ちよつと、おじさん。おぶうでも如何……ちよつと、ちよオッとォ、ピカピカ眼鏡のお兄さん、おもどり遊ばしてえ」「ちよッと、そこのお兄さん」
「ちょっと」である。ついでに吉原では、「いらしって」または「いらっして」という言い方だったらしい。「いらっしゃいませ」と呼んだ断髪の女性が仲間に笑われている。
出久根達郎『セピア色の言葉辞典』文春文庫2007,pp.147-48)

また村瀬学氏は、『トンコ節』を引きつつ以下の如く書いている。

阿久悠のいた時代―戦後歌謡曲史
「ちょっと」と「ちょいと」は微妙に違っている。「ちょいと」の方は「ちょいとそこのお兄さん」と声をかけられるような「粋な、色っぽい声かけ」の感じがするが、「ちょっと」はどちらかといえば、「すこし」という時間感覚を伝えるものになっているからだ。「ちょいと」は、関係の瞬間性、あるいは瞬間の関係をつかまえる言い回しになっている。それはまさに声をかける臨場的な瞬間であり、「ちょっと」もまた、はかない関係をとらえる言葉であることには変わりがない。
村瀬学「一九七〇年代―「独りよがり」の時代へ(抄)」,篠田正浩 齋藤愼爾責任編集『阿久悠のいた時代―戦後歌謡曲史』柏書房2007,p.83.初出:『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか―戦後歌謡と社会』春秋社2002)

出久根氏の言うとおり、「ちょいと」が「品のない言い方」であって、「たとえば赤線の女性が」よく用いていた、また「色っぽい声かけ」である云々というのは、確かに一面的で的を射ていないのではないかとおもう。古い邦画を観ていると、男女差や階層差にかかわらず、台詞のなかに「ちょいと」が頻繁に出て来るのである。
しかし、それにしても――、「ちょいとちょいと」と重ねてみると、花柳用語ふうに聞こえてしまうのは何故だろう。これはまったく主観的なものなのだろうか。
と思って、永井荷風の『ボク東綺譚』を眺めてみたら、丁度見つかった。

戸外(そと)には人の足音と共に「ちょいとちょいと」と呼ぶ声が聞え出した。(岩波文庫改版,p.50)

そんな些細なことが気になって、昨年末、『花柳小説名作選』(集英社文庫)や荷風の『腕くらべ』などを漫然と眺めていたことがあったのだけれども、藝者が客(あるいは同業者)を呼び止めるときは、「ちょっと」も「ちょいと」も有り得たようである。
これが出身地と関与するものなのかどうか、面倒なので、そこまで調べることはしていない。
→参照:『退屈男と本と街』「『ちょいと』いいことば。」(http://taikutujin.exblog.jp/1316460/