明日天気になあれ

まずは、吉田戦車さんと川崎ぶらさんの共著『たのもしき日本語』(角川文庫,2001)から。

たのもしき日本語 (角川文庫)
戦車●(略)「男前」にもいろいろあるからな。
ぶら■その男前だが、元々単語自体には「良い容貌」という意味はないようなのさ。男前が上がる、男前がいいね、などと遣うのが本来で、それで初めて褒めている意味になるものでな。言ってみれば「天気」のようなものさ。「いい天気」と言えば、普通は晴れのことだが、「お天気でよかったね」と言っても晴天を意味する。
戦車●「明日天気になあれ」と歌っても、初めから天気は天気だからな。(p.225)

いわれてみれば、確かにそうです。これは一体どういうことなのでしょうか。
このことについて、もっとも簡にして要をえた説明が、国広哲弥日本語誤用・慣用小辞典〈続〉』(講談社現代新書,1995)にあります。以下をご覧ください。

「実力」という語がある。「抜き打ちテストをやって学生の実力をためす」と言うときの「実力」は〈見かけではなく実際の力〉という意味であり、実力の程度はゼロから満点の範囲にまたがる。つまり中立的な意味の「実力」である。ところが、「彼は実力がある」と言うときは〈平均以上の、かなり高い実力〉を指している。「私は実力がないから駄目だ」というときも、実力がゼロだというのではなくて、〈高い実力がない〉と言っているのである。つまりプラス値の実力を指している。一般化して言うならば、ある種の語は「プラスマイナス値」と「プラス値」の両義を持っている。
類例を続けよう。「あの人は人格者だ」と言うとき、〈普通以上に立派な人格を持っている〉ということであり、「あの人は人物です」というときも〈偉い人物〉ということである。(p.229)

これによると、「明日天気になあれ」の「天気」は、「プラス値」の義をもっている、ということになります。
ところでなぜ、中立的な意味と「マイナス値」ではなく、「プラス値」をもつことになったのかという問題についてですが、国広氏はべつの本で以下のように書いておられます。

プラス方向に変っている理由を断定的に説明するのは難しいが、恐らく、プラス方向の方が「目立ち度が高い」(salientである)ということではないかと考えられる。(『理想の国語辞典』大修館書店,1997.p.69)

…なるほど。
身近な例ではほかに、「風邪を引いたみたいだ。熱がある」(「高い熱」という〈プラス値〉)とか、「ルーキーは結果を出せずにマウンドをおりた」(「良い結果」という〈プラス値〉)とかがあります。
ただし後者については、誤用と見なしている人のほうがまだ多いようです。「日本語の誤用」をあげつらった本のなかには、必ずといってよいほど出てきます。