あゝ思ひ出の懷かしさよ。

水上瀧太郎『山の手の子』

集英社版『日本文学全集87 名作集(二)』所収。
水上瀧太郎の処女作です。明治四十四(1911)年、『三田文学』に発表。「山の手の子」と「町っ子」が対照的に描かれています。なぜ夏は行ってしまうのか。淡い恋の思い出。なんとも云えない余韻の残る佳品でした。それから、なぜか妖怪「野衾(のぶすま)」*1も出てきました。註釈には、「ムササビの異称」とだけありますが、それはちょっと違うのではないか。確かにそういう「説」もあるけれども。
それにしても、「山の手の子」と「町っ子」の別というのは、やはり今も残存しているのかしら。約一年だけ、しかもまだ物心のつかないうちにしか「山の手の子」(その境界はきわめてアイマイであるようですが)を経験したことのない私がいうのもヘンですが。
最近読んだものでは、『松本隆対談集 KAZEMACHI CAFE』で谷川俊太郎さんが、次のように語っておられたのでした。

東京の下町に生まれ育った人がいますよね。永六輔さんも山口瞳さんも吉本隆明さんもそうなんですが、そういう下町の人々と我々のように山の手に生まれた人間というのは同じ東京と言っても大分違和感があるよね。(p.28)

また獅子文六は、『山の手の子』と『町ッ子』というふたつの小品を書いています。前者は未読。後者では、「町ッ子」をすでに死語であるとしたうえで、

語意は山の手の子の反対に当たり、下町の子をいうのであるが、下町の子自身は、自分たちのことを、町ッ子とは呼ばない。だから、おそらく、山の手語の一つだと、考えられる。

町ッ子という語は、下町の児童に対する山の手人の軽蔑語であったかもしれぬ。なぜ、軽蔑するかというと、これは、ハッキリしている。山の手には、諸国から出てきた士族が多く住み、下町は、町人の家系が多かったからである。

と書いています。
ところで、仲田定之助『明治商売往来』(ちくま学芸文庫)のカバー見返しで知ったのですが、その仲田さんの『下町っ子』(新文明社)という作品があるらしい(正篇の「あとがき」でもふれられています)。『町ッ子』を再読していたら、にわかに気になってきました。

*1:一般的には『梅翁随筆』などを引いて説明されるようです。「面体鼬の如く」…だったかな。