辻邦生『嵯峨野明月記』

「舌」をつかって何かを「見分ける」能力をもった人物といえば、辻邦生『嵯峨野明月記』に出てくる「経師屋の宗二」(紙師宗二)もそうだった。 宗二は何かを見分けようとするとき、紙でも木ぎれでも、かならず舌先でなめてみるのである。まるでその味を吟味…

門井慶喜作品を読む

門井慶喜の作品中の人物たちは、しばしば「舌を出す」。 …隆彦が二度うなずくと、志織はちょっと舌を出し、… (「図書館ではお静かに」『おさがしの本は』光文社文庫2011:50) 「それ以前に就職ですね。私の場合」 郁太は舌を出した。(『小説あります』光文…

文庫本で読む『菜根譚』

宗助は一封の紹介状を懐にして山門を入った。彼はこれを同僚の知人の某から得た。その同僚は役所の往復に、電車の中で洋服の隠袋(かくし)から菜根譚を出して読む男であった。こう云う方面に趣味のない宗助は、固より菜根譚の何物なるかを知らなかった。あ…

「フェスティーナ・レンティ」

先日、尾崎俊介『ホールデンの肖像―ペーパーバックからみるアメリカの読書文化』(新宿書房2014)を読み了えた。「本の本」が好きな向きや、書物そのものが好きな方にもおすすめしたい好著である。 とりわけわたしの気に入ったのは、表題作「ホールデンの肖…

『学芸記者 高原四郎遺稿集』

五年半ほど前のことです。「阿部真之助の本」というエントリを記した際に、書誌学者の森洋介氏が、「阿部部長による東京日日新聞學藝部の黄金時代を偲ぶ」著作の一冊として、非売品の『学芸記者 高原四郎遺稿集』(高原萬里子1988)という本をすすめてくださ…

「爆笑」誤用説

岡本喜八『にっぽん三銃士 おさらば東京の巻』(1972東京映画)という映画のなかで、小林桂樹と岡田裕介との間に次のような会話が交わされる。 岡田 まあ、すさまじきものは宮仕えってことです 小林 すさまじきじゃないよ、すまじきものは宮仕えだよ。それが…

藤枝晃『文字の文化史』/聖徳太子

藤枝晃の『文字の文化史』は、「文字・漢字好きのバイブル」ともされ、これまでに岩波書店の単行本(1971年刊)、岩波同時代ライブラリー版(1991年刊)、講談社学術文庫版(1999年刊)、と何度か形を変えて世に出ている。だが、現在はいずれも絶版もしくは…

「二銭銅貨」「心理試験」のことなど

年明けに「江戸川乱歩「二銭銅貨」と点字とビブリア古書堂」(「くうざん、本を見る」)を拝読しておおいに触発され、このところ、乱歩の初期作品をちびちび再読するなどしていた。 青空文庫版「二銭銅貨」の底本たる光文社文庫版全集本(第一巻『屋根裏の散…

知里真志保『アイヌ語入門』のこと

知里真志保『アイヌ語入門―とくに地名研究者のために―』(北海道出版企画センター)という本がある。判型でいうと、「小B6判」というのだろうか、一般的な新書よりもすこしだけ小さなサイズの本である。同じデザインでかつ同じ判型の本に、『地名アイヌ語小…

岩阪恵子選『木下杢太郎随筆集』

そもそもわたしが、木下杢太郎に関心を抱くようになったのは、平澤一「古本屋列伝」(『書物航游』)によるところが大きい。以前にもその一部を紹介したことがあるが、重複をいとわず引いておこう。 その次に訪ねた時、若林さん*1は折よく店にいた。こちらか…

『松本清張索引辞典』補遺

昨年末、森信勝編『松本清張索引辞典』(日本図書刊行会)という労作が出た。清張ファンの私などにとってはよい手引きになるし、たいへんありがたいことである。 2015.12.22付「毎日新聞」や2016.1.6付「中日新聞」、2016.2.29付「読売新聞」にも記事が出て…

『駿臺雜話』/冨山房百科文庫

前回の記事で引用した室鳩巣『駿臺雜話』は、享保十七(1732)年に成立したものであるが、この(確か)再版本を、四天王寺の古本市だったかで端本で拾ったことがある。しかし廉価だったこともあって虫損がそれなりにひどく、披くたびにパリパリと音がするの…

一鴟/鴟鵂

王楙の『野客叢書』巻第十一「借書一鴟」に、面白いことが書かれている*1。 それによれば、李正文『資暇集』が次のごとく述べているという。 書物の貸借について、俗に「謂借一癡。與二癡。索三癡。還四癡(借るは一癡、與ふるは二癡、索むるは三癡、還すは…

「勉強」

本年も宜しくお願い申し上げます。 - 昨年末、前野直彬の著作を古本と新本とで一冊ずつ購った。古本は『蒲松齢伝』(秋山叢書1976)、新本は文庫化されたばかりの『漢文入門』(ちくま学芸文庫)である。 『蒲松齢伝』は、相田洋『シナに魅せられた人々―シナ…

ことば諸々

◆来〇 村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?―紀行文集』(文藝春秋2015)に、 この前『来熊』(らいゆうと読む。熊本の人々はなぜかこの言葉をよく使う。他県の人にはまず読めないだろうに)したのは1967年、僕はまだ十八歳で、高校を出たば…

芥川也寸志の『八つ墓村』、市川崑…

わたしが愛してやまない映画音楽に、芥川也寸志作曲の『八つ墓村』(サントラ盤)がある。これは、野村芳太郎『八つ墓村』(1977松竹)で使用されたものである。 芥川の『八つ墓村』は、まず、映画の前宣伝もかねて12インチのシングル盤(ビクターレコード)…

酒井抱一のことなど

先日、今関天彭著/揖斐高編『江戸詩人評伝集1―詩誌『雅友』抄』(平凡社東洋文庫2015)を読んでいると、次のような記述に行き当った。 この年(寛政七年―引用者)幕府は(柴野)栗山・(尾藤)二洲の建議を入れ、学者にして程朱を奉ぜぬものは進士を許さぬ…

『子規交流』

喜田重行氏の遺著『子規交流』(創風社出版2009)の冒頭に収める「子規と哲学僧」は、晩年の正岡子規の許に届いた書簡が、実は清沢満之(きよざわまんし)からのものではなかったか、と推測したものである。某ネット百科事典にもこの事実は記されているが、2…

ブルった

先日、コロンボ刑事登場第一作のテレビ映画『殺人処方箋』(1968)を見ていると、コロンボ=小池朝雄の科白として、 「腎臓のかたちしたでっかいコーヒーテーブルがでーんとあってね、もう、見るだけでブルっちゃうんです」 というのが出て来た。 「ブルっち…

藤枝静男『田紳有楽』

「東京グラフィティ」8月号の「ヴィレヴァン」特集で、店員たちがおすすめの本を紹介している。広島県の佐藤学氏は、近代文学ベストワンとして藤枝静男『田紳有楽・空気頭』(講談社文芸文庫)を挙げていた。曰く、「すべては自分の中にあって、どこにも何も…

右文説

「右文説(うぶんせつ*1)」は、北宋代に流行した字源説である。「漢字(楷書)には形声文字が多く、また、その構造は左に意符としての偏(へん)、右に声符としての旁(つくり)があるものが多い」が、この「右側、すなわち声符にも意味を求めようとする考…

北村太郎、最後の「煮込みうどん」

(北村太郎が―引用者)入院するちょっと前のこと。朝方血を吐いて病院に行った帰り、材木座の家によってくれた。 前もってわかっていたので、となりの横浜時代からの友人の奥さんが、具だくさんのうどんを鍋一杯につくってくれた。 やっとの思いでたどりつい…

「全然〜ない」の神話

「全然」のあとは打消しの「ない」(や「駄目だ」「違う」などの表現)で必ず結ばなければならない、というのが一種の「迷信」「都市伝説」であったことは、今では、それなりに知られるようになった(これはもちろん、かつて「全然」は、打消しの「ない」と…

「猫舌男爵」、中谷治宇二郎…

一年に大体一冊ずつ出ていた、ミステリー文学資料館編『古書ミステリー倶楽部』シリーズ(光文社文庫)も、とうとう今月出た第三弾で終るらしい*1。最後の三冊めにも、宮部みゆき「のっぽのドロレス」や長谷川卓也「一銭てんぷら」、小沼丹の随筆など、珍し…

後藤朝太郎の「漢和辞典改革」

一昨年、なぜか後藤朝太郎の『支那の体臭』(バジリコ)が突如として復刊されたが、後藤はこのような“ルポルタージュ”を書く以前、もっぱら「言語学者」として知られていた。 銅牛樋口勇夫の『漢字襍話』(郁文舎ほか1910)には、「漢字の言語學的研究に沒頭…

『伊沢蘭軒』を読む人々

先日おもい立って、森鷗外『伊沢蘭軒(いさわらんけん)』(ちくま文庫1996)をふたたび頭から読み始めた。今回は、副読本として斉藤繁『森鷗外『伊沢蘭軒』を読む』(文藝春秋企画出版部2014)*1を座右に備えて熟読している。山崎一穎(2002)「『伊澤蘭軒…

幸田露伴「連環記」

また中公文庫の話から始める。先月の新刊で、辰野隆『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』というのが出ている。中公文庫に辰野の著作が入るのはこれが初めてのことのようだ。弟子・渡辺一夫の著作が二十年以上も前にこの文庫に加わっていることを考えると、少し意外…

『やちまた』二度目の文庫化

昨春から、「中公文庫プレミアム」というシリーズが刊行されている。吉田茂『回想十年(三分冊)』や柳宗悦『蒐集物語』などの「改版」も入っているが(「BIBLIO」から移籍したものも含まれる)、北一輝『日本改造法案大綱』や松岡英夫『安政の大獄』など、…

富岡桃華のこと

内藤湖南の自選漢文集『寶左盦文(ほうさあんぶん)』(私家版、大正十二年)所収の「富岡氏藏唐鈔王勃集殘卷跋」(大正十年十二月)に、次のような一節が出て来る。 是歳亡友富岡桃華亦得子安集殘本二卷與上野神田二氏本同出一帙並有興福傳法印蓋東京赤星某…

読書の愉しみ

遅れ馳せながら、本年も宜しくお願い申し上げます。 - 併行して幾冊かの本を読み進めていると、ある特定の物事について知るためにそれぞれの本を手に取ったわけでもないのに、その別々の本で同じ事柄に逢著して驚くことがしばしばある。 もっともそれは、わ…